2016年04月06日(水)
「喜び」
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さん
「私は長い間、偶像を拝んで生きて
来ました。
環境的に、周囲が皆、偶像信仰者だった
ので、自然に、何の疑いもなく、その道に
歩みました。
でも、段々物心ついて、考え始めるようになると、
どうしても、心お奥底に空洞があって、幾ら
偶像を拝んでも、信心しても満たされないのです。
しかし、親族皆が、信仰していて、自分もその
まま偶像を拝み続けていました。
ある時、聖書、主イエス・キリスト、福音に
触れる機会が来ました。
自らの罪、神の愛、キリストの救いを知った時に、
信じたい!と思い、受け入れました。
主を信じ、御霊が内住された時に、喜びが溢れ
ました。
今まで経験した事のない心の奥からの喜びで、
嬉しくて嬉しくて、仕方がなかったです。
偶像礼拝の期間が長かったので、幾ら拝んで
も満たされない月日を経験していたので、
この溢れる喜びには驚きでした。
周囲が「どうしてそんなに嬉しそうなの?」「なぜ、
そんなに喜んでるの」と、いろんな人が聞いて来ました。
証しをし、主のもとへ連れて行った時に、親族が
次々と救われ、夫も、親も、親戚も救われて
行きました。
何も善行による証しはできていないのに、喜び
が証しとされました。不思議でした。
ただただ感謝ばかりです」
“御霊の実は・・喜び・・
このようなものを禁ずる律法はありません”
ガラテヤ5:23
Bさんも、
ずっと長い間、偶像を拝んで来られた。
周囲から誘われ、何か心の支え、頼るもの
が欲しかったので、信心された。
しかし、拝んでも、拝んでも、幾ら一生懸命に
言われることをしても、全く心に救いは無かったと。
心の奥の空洞が埋められない。
拝んでも、拝んでも、修業しても、心の虚しさが
無くならず・・そこに救いが無かったと。
イエス様に出会った時、心の奥が埋まって、満たされ、
感謝が溢れて、溢れて。
心の奥から喜びが湧き、嬉しくて、嬉しくてと。
「まあ、あなたはなんで、そんなに変わったのか」
とよく聞かれてと。
自分自身が、主にあって、喜んでいることが
一番の証しだ。
「作り笑いはできるが、作り喜びはできない」と
言われている。
喜びは、御霊からのもの。御霊の喜び。
妨げているものを、献げたり、取り除かれ
たりして、主と親しく交わって行きたい。
溢れ出る(*^_^*)
“わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出る
ようになる”ヨハネ7:38
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