2003年06月21日(土)
物の見方
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主のよみがえりを、信じることができないで、
故郷に帰りつつあった、エマオ途上の弟子達。
そこへ、イエスご自身が歩み寄られ、御言葉
を解き明かして下さった。
それを聞き、弟子達は心が内に熱く燃えたが、
まだ、肝心のそのお方がわからない。
主が目を開いて下さった時、初めて見えた。
その同じイエス様が私とも、いつも共に歩ん
でいて下さって、起こる事態を、御言葉を、解
き明かそう、明かそうとしていて下さることに、
思い至る。
「何で、この事が・・時が少しずれていれば、
遭遇しなかったのに・・」「あの事は・・して
いれば、違った結果に?」
いや、そうじゃない。そうじゃない事はよく知
っているでしょうと、神は言われる。
すべてのことが、神から発し、神によって成り、
神に至る。
目の前の一つ一つのことが、神様によって、量
り与えられたもの。すべて神が送られたもの。
益となる、ご計画がある、主はしようとしてお
られることを知っておられる。いつも希望がある。
主から来たもの、これを与えておられるのは
主、目が開かれて、主が見える時、すでに解決だ。
神に焦点が合うと、神のお心がわかる。
絶えず、絶えず、神様に焦点が合い、神様の目と
神様のお心を見て行けたらどんなにいいだろう。
これは聖霊の働き。
by 多恵子
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