2016年11月1日(火)
  「光がある」

たまたま厳しい試練を通った方々と、お会いする
機会があった。

Aさんは、事故に会われ、そのため失明された。
突然の失明に、もう真っ暗になり、絶望し、生きて
行けないと思いましたと。

そんな中で、教会に導かれ、救いを得ましたと。
教会に集う中で、世の中に、こんなにいい人たちが
いるのだろうかと思うほど、いい人たちでした。

暗闇の中に、光が射し、神様に出会えました。
生きることに希望が与えられ、今は、夫の救いの
ために祈っていますと。

Bさんは、子供さんを亡くされた。
自分が、どうにかできなかったのかと、自分を責めたり、
悲しくて、苦しくて、辛くて、もう何が何だかわからない
ほどの真っ暗な中を通った。
皆にも祈られ、主によって支えられ、御手に守られ、
そんな中で、御言葉によって救われましたと。

“いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエス
にあって神があなたがたに望んでおられることです”
Tテサロニケ5:16

この御言葉が光となって、心が不思議な力でおさめられて
行きましたと。

Cさんも、以前話して下さった。子供さんを事故で亡くし、
もう失意と、悲しみのどん底にいた。
悲しくて、悲しくて、涙は止まらず、周囲の皆が祈ってくれ
自分も悲しみの中で、祈り続けていた。

しばらく時が経た時に、“一粒の麦がもし地に落ちて
死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし
死ねば、豊かな実を結びます”ヨハネ12:24
の御言葉が与えられた。

子供の死は決して無駄にならず、神様はこの死を通して、
豊かな実を結ばせて下さるのだと思った時、光が心に
来て、前に向けた。

補償金が入った時に、これはまだ神様を知らない子供たち
の救いのために使いたいと、子供たちのための集会所を
建てた。
そして、牧師先生やスタッフ方に来てもらい、子供集会
が始められた。そこで沢山の子供たちが救われ、御言葉
を聞き、子供だけでなく大人の集会も開かれ、大人の
人々も救われて、もうほんとに感謝でいっぱいなんです、と。


どんなに苦しい、辛い、試みの中にも、必ず主の救い
があり、光があること、耐えられない試練は無いことを
見せられる。

“光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち
勝たなかった”ヨハネ1:5

“幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ。
彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます”
詩篇89:15