2017年01月06日(金)
  「根深い価値観」

「どうしても律法の価値観、古い価値観が根深い

ですね〜」



「つまり、良い子は良くて、悪い子は悪い。

良い子が受け入れられて、悪い子は受け入れられない。



だから、良い子になれ。そうすれば受け入れよう。

になってしまう。



その裁きは、自分にも向けるから、自分はダメだと

いつも落ち込んでしまう。



デボーションが出来た日は、ルンルンで晴れ晴れと

歩めて、出来なかった日は、何か悪い事が起こる(笑)

何か起きると、バチが当たったんだと(^^;)



だから、つまりは良い事をして、受け入れてもらおうと。

これならずっとしんどいですよね。辛い人生。

良い事なんて、そうそう出来ないし、出来たら、出来た

で、高ぶって、自分を誇るし(^^;)



救われていても、そう歩んでしまう。

放蕩息子の無条件の愛がわからない。

頭でしか、知識でしか、わからない。

放蕩息子の兄ですね」



「兄の方はしっくり来る(笑)わかる。



頑張るのが善。叱咤激励の中で育って来たし、

世の中、今も、これからも、ずっとそう。



ここにサタンの落とし穴があって、自分で頑張る。

自力でやるので、頑張れると自分を誇り、優越感

に浸るし、

逆に、頑張れなくなると、自分に価値が無くなってしまう」





小さい頃から、叱咤激励の中で、頑張って、頑張って、

辛い苦しい中を生きて来た人が、頑張らなくていい、

神様に頼ればいいんだと福音を知り、「恵み」を知

って、心底安堵した。

嬉しくて嬉しくて、恵みに浸った。



ありのまま受け入れられている喜び、平安、嬉しさを

証しすると、一部から非常に激しいパッシングを受けた。

神に頼るなど、逃げだと。



彼らの心理は、自分は頑張っている、こんなにも

苦しい、辛い目をして、でも歯を食いしばって

頑張っている。苦しくてたまらない。



それが、神に頼って、自分で頑張らずに、心安らかで、

喜びに満たされているなどと、我慢がならない。

非常な反発で、憎しみとまでなって行く。

それが攻撃となる。





「あ、クリスチャンだって同じですよね。

自分もそうです。肉で頑張ると、そのように出来てない

人を必ず裁くんです。頑張らないからだと。

そこに、愛なんて全く無いです。恵みもない。恵みの下

から、律法の下に出て行ってるんですよね。



これが出来たのは、自分の力でなく、神様の恵み

だとわかると、人を裁かないし、自分も高ぶれない

ですよね」



“しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは

律法の下にはいません”ガラテヤ5:18



御霊によって歩んで行けますように。