2017年04月03日(月)
  「自分がルール」

聖書を学び始めている方が、

創世記で、蛇がエバを誘惑する箇所があるが、最初

聖書を読んだ時に、善悪を知る木の実を食べる箇所、



「あなたがそれを食べるその時、あなたがたの目が

開け、あなたがたは神のようになり、善悪を知るように

なる・・」

との箇所で、善悪を知れるようになるなら、人間に

とって、いい事じゃんと思ってました、と。



でも、その善が、自分が思う善で、自分が思う悪だと

今日の学びで知り、神から離れたことだと知りました。



神の命令に背く罪であり、

いやあ、善悪の知識の木の実を食べると死ぬという

意味がよくわかりました」



自分が神になるとは、自分がルールになるということだ。

自分が善とすれば善で、悪とすれば悪、自分が基準で

すべて自分が決めるということだ。



神無しであり、神の上に自分を置くことであり、恐るべき

高慢だ。神に対する畏れがないと、容易に陥ってしまう。



自分が正しいとしか思えなくなる。自分が神になる。

高慢の、サタンの本質だ。



自分が判断したい、自分の力で生きたい、人からの

評価、賞賛が欲しい。人に認められたい。



自分、自分、自分・・サタンそのものだ。





「恐いですよねえ。相手が悪いとしか見えなくなって、

周囲をさばきまくって、高慢に陥ってる自分の姿は全く

見えない。

神様に出会って、今は、聖霊様が気づかせて下さる

から、感謝で、感謝で。

神様を知らなければ、恐ろしい事になってた。

その恐ろしさもわからないですよねえ。



今でも、相手をさばいたり、責めたりするが、でも御霊

の気づきがほんとに感謝でならないです」






サタンの高慢と、イエス様のへりくだりが対極にある。



へりくだれない自我を砕いて行って下さる歴史が、神様の愛だ。