2017年09月01日(金)
  「主が決めておられるように」

「祈りについて、考えさせられ、教えられています。

クリスチャン生活、40年近く送って来て、祈りをし、又、
様々な試練の時には、もう祈りが叫びとなり、あがき
求める事も経験して来ました。

心が苦しくて苦しくて、張り裂けそうな所も通りました。
祈りがうめきとなるような時もありました。

沢山の願いが答えられました。勿論、願った通りに
答えられない祈りもありました。

願った通りではなかったけれど、ほんとに良いように
導かれていることを経験して来ました。

神様が最善をして下さると、長い年数を経て、
頭ではなく、何か膚で信じられるようになって来ました。

ああして欲しい、こうして欲しい、あれを、これを下さい
との自分の思いとしての願いは、勿論あるのですが、

人生も終わりの部分に近づいて来て、最近、
あれが欲しい、これが欲しい、ああして、こうしてとの
願いはあるが、神様が最善を考えていて下さって、
配慮して下さっていて、一番良いことを備えて下さって
いるのであれば、

神様のご計画と御心が成りますように、が祈りになって
来るなあと。
ああして欲しい、こうして欲しい、より、神様のみ思いは何ですか
に、変わって来ることを感じさせられています。


“あなたのあわれみは大きい。主よ。あなたが決めておられる
ように、私を生かしてください”詩篇119:156

自分の思い通りでなく、神様が決めておられるように、生か
していただく事が、結局一番の幸せで、喜びなんですよね。」



答えられなかった数々の祈りも感謝で、自分が何を求めて
いるのかも、よくわかっていない。

自分の真の必要をわかっていない。そのため、自分の最善と
思っているが、実は的はずれだったりする。
自己中心に、自我からの求めも、わからないまま祈っている。
答えられない方が感謝だ。

主が、いつも必ず「良いもの」を与えて下さる「良いお方」である
ことを信じて、お心を求めて行けるように、
祈って行きたい。