2019年01月10日(木)
  「選択」

「無くてはならぬものは一つ」は、極めて明快だ。
あれも、これも色々と、有りそうに思うが、「一つだけ」と。

「マリヤはその良い方を選んだのです」ルカ10:42

マリヤは、その大切な一つのことを「選んだ」と。
マルタも、大切な一つは知っていたのだろうか?
でも、その時は選ばなかったのか。

オートマチックでなく、御心を選び取らないと、流されてしまい、
結局、一生流されてしまいそうだ。

「朝起きて、まず神様に心を向けて『おはようございます』
から始めて、まず祈ろうと思うのですが、

ぼお〜としていると、朝起きた瞬間から、一日のスケジュールや、
又、心配事、悩み事がどおっ〜と来て、思いがついて行って
しまってる。
すでに思い煩いに支配されてしまっていて。朝一からサタンが来
ますねえ。祈りが取られて、考え事をし不安や恐れも来る。
起きた時に、神様に向くことを、選択して行きたいです」

「Aさんが、同じ事を言っていて、前の晩、寝る時に、朝一で
主に向けるよう、祈って寝ると言ってたよ(^^)」

「デボーションも主が与えて下さるよう祈りつつ、自分も選択しない
と持てない事、教えられます」

Bさんが、経済的必要のために、昼はフルタイム、夜もバイトをして
いて、時間が無いのでデボーションが持てない。ああ、時間が欲しい、
時間さえあればと、ずっと思っていた。

ところが、突然の1日休みがもらえた時に、大喜びで行楽に飛んで
出かけた。その時に、デボーションは、時間の問題でなく、自分が選ば
ないのだと、頑なな自我だと、気づかされたと。

「信仰人生、ずっと選択ですよねえ。御霊が引っ張るし、サタンが
引っ張る。自分に行なう力は無いが、意志を向けて選択した方
が、振り返ると結実している。

いつも目の前に二つの道があって、肉とサタンを選択すると、害毒
を流し、新しい性質と御霊の方を選択すると、良き証しとなる。
どちらも結実する」


祈りと御言葉を第一にして行くことも、意志を向けての「選択」だ。
御霊の方に、意志を向けて選択した時に、力が与えられる。


愛することも、感情ではなく、意志であり、選択だ。

以前に学びの中で、永遠の愛を誓って結婚した夫婦が、牧師
のもとへ来て言った。
「もう、自分たちに愛はありません。別れるしかない」
すると、牧師は言った。「さあ、今から愛することを学びましょう」と。
愛は有るか無いかというものでなく、学ぶものだと。

愛するとは決意であり、好きでも嫌いでも、愛して行くことを選択すること。

「選んでません」と、祈ることから祝福が始まる(*^_^*)