2019年09月01日(日)
  「今日一日」

Aさん「先のことが、不安でたまらなくなるんです。
老後のこととか、心が重苦しく、暗くなって、気持ちが
沈んでしまって」

Bさん「明日の心配無用とありますよね」

Aさん「あ、そうだ。そうだった。そうですよね。今日一日なん
ですよね。
明日はゆだねて、今日一日を精一杯生きることが大事
だったですよね。

気持ちが、どよ〜と沈んで、暗くなって、重苦しくなって、
気持ちが萎えて、気力も失せ、嫌な思いでいっぱいで、目の前
の事ができなくなって。喜びも平安も無くなってしまう。

無為な無駄な、思い煩いの一日になって、周囲に害毒も流し
てしまう。
もろサタンですよね。肉がついて行ってしまって。

今日一日のことだけを考え、与えられた御心を行って行く時、
今までも平安と喜びが与えられていました。

今日一日!!肝に銘じます!!」



Cさんが、想定外の突如の事態が起きて、一ヶ月半だけだが、親族
を引き受け、お世話をする事になった。

皆、事情があって、自分しかいない。しかし、自分もフルタイムで
働いていて、夜勤もあるシフト勤務。子供たちはまだ小学生。

引き受けることは、御心だが、どうすればよいか全くわからず、
途方に暮れた。生活はちゃんと回るのか。
不安しかなくて、まず主の御前に祈りに祈った。
不安と思い煩いを一つ一つ具体的に、主に聞いて頂いた。

その時に、御言葉が与えられた。
「あすの心配は無用です。あすのことはあすが心配します」マタイ6:34

突然、「一日だけでいいんだ!!今日一日だけ生きればいいんだ」
とひらめくように、御言葉が臨んで来た。

「一日だけ」それなら出来る。明日は考えず、今日一日なら、何とか
できる!そう思えて、まず心が平安にされた。

そして、一日だけなので、心の負担は軽く、今日は大丈夫との信仰が
持てて、祈りつつ、今日だけ考えて生活して行った。

すると、夫はその間、犠牲を払い、よく助けてくれて、何と子供たちまで
協力してくれて、懸命に様々出来る手伝いをしてくれた。

そして一日一日生きて行くと、一ヶ月半を主の平安と喜びと感謝の中で
全うできたのであった。
そして、家族の絆も深められ、主の取り扱いとみわざであった。