2020年01月06日(月)
  「人の目」

人を気にするって、非常に根深いと話していた。

神様を知る前は、人との差異でしか、自分を量れないから、測る方法
が無いから、人との比較でずっと生きて来た。
それは極めて根深く培われている。


★「神様に出会う前は、ずっとプライドで生きて来ました。
人にどう見られるかが、すべてだった。

自分がどうかでなく、人前がどうか、人の評価、人に認められること、
そのためにずっと生きて来た。

だから、何かに頑張るのも、人より上に立ちたい、人が羨む自分で
いたい、動機がそこだった。

自分の能力や、経歴や、仕事の華やかさに、人は一瞬羨望の
まなざしになる。
それが快感だった。でもその一瞬だけで、別にどうって事はない。

そんな生き方だから、全く安らぎが無かった。
動機も、方向性も、何もかも、的はずれだったと、わからされた。
人前に生きて来て、人が神になってたと思う。
人って、大きいですねえ。神になってしまいますよねえ。」


★「自分は、若い頃からずっと、人が気になって仕方が無かった。
とにかく、人を気にするんです。
人に、どう思われるか、どう言われるか、それがもう生き方だった。

だから、人に嫌われたくないし、人に良く思われたい。良い人
だと思われたい。
人目を気にして、言動も、行動もする。
人前の自分を意識して、生きてしまいますよねえ。でも、そんな
事、考えたこともなかったです。

神様を知って、初めて自分の姿が照らされて。
ほんとに根深いものがあって、でも、御霊の気づきが与えられて
生きて行けることが、本当に神様のあわれみで感謝です。

人目を気にし、人によく思われたと、人ばかり見ている自分に
気づかせてもらえて感謝です。」


日本人は、向こう3軒両隣が、神と言われる。

「あなたは、わたしに従いなさい」
根深く培われているが、少しづつ少しづつ、主によって自由に
されて行く。