2003年11月18日(火)
  欲と誘惑

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おひき寄せ
られて、誘惑されるのです」ヤコブ1:14

昔、子供達が小さい時、私は子供の写真を撮りま
くっていた。夫は、その以前からカメラが好きで、
趣味だった。

そんな時、デパートのイベントで、「写真撮影教室」
なるものが催された。みっちり4時間もある講義と実習。
まず、カメラの構造から教えてくれて、技術的なもの、
更に、美術的な方面からのノウハウも教えるという。

夫が、これを聞いておけば、同じ写真撮るにも、いい
ものが撮れるよ、行って来たらいいよ、と言ってくれる。
子供達もみているから、行ってきたらと盛んに勧めてく
れる。
育児や家事、働きで、24時間営業状態の身には、そこ
から解放されて、4時間フリーというのだけでも大い
なる魅力。
しかし、これだけのお膳立てがあっても、結局行かな
かった。

なぜ、行かなかったかと、よくよく考えてみると、「関心」
がないから。行けない。気力と行動が起こらない。動け
ない。少しでもあれば、行ったかも知れないが。

この時、伝道しているが、未信者にとってもそうなんだと、
つくづく思った。関心のない時に幾ら言われても、どうに
もならない。それぞれに「神の時」があるんだと。

そして、誘惑に関しても、関心のないところは、誘惑に
なり得ないことがよくわかった。まず食指が動かない。
つまり、関心のあるところが、誘惑されるところであり、
強い関心に、誘惑が来るのだと。

自分の内にある欲望、様々な欲望、弱さが聖霊様によって
よく気づけるように。

「明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らか
にされます。明らかにされたものはみな、光だからです」
エペソ5:13

気づけた弱さは、祈ることができる。弱さが見えていて、
祈れるなら、問題ない。光のもとにさらされて、見えて
いるから。

見えていない自分の欲、見ようとしない弱さが、危険で
あり、暗やみであり、足もとすくわれるんだと思う。

聖霊様の光によって、自分の内をくまなく見せて頂け
るように。見たくない弱さも。神様が見ておられる
ように。

「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主に
あって、光となりました・・光の結ぶ実は、あらゆる
善意と正義と真実なのです。」4:8

by  多恵子