2004年02月22日(日)
  「わたしのことばがとどまる」

今日の礼拝後の学びで、メッセージを通して教えられた
事を語り合った。ヨハネ15:1−16「実を結ぶ」から。

Aちゃん「御言葉にとどまる事の中で、Tペテロ2:2
“生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みこと
ばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを
得るためです”の御言葉で、乳飲み子のように慕い求め
なさいとあるが、そこまで慕っていない。

ほとんど慕っていなくて、ボッーとしている。乳飲み子
というのは必死で命がけで、お乳にくらいつく。そんな
必死さなど、まるで無い。
何かあった時は、必死になって心に来るみことば握って
歩めるが、頭ではみことば求めること、とどまること、
よくわかっているが、心が全くついて行っていない。
これって、どんどん神様から離れて行く。

朝、デボーションをしようとすると、サタンが来て、今
日は忙しいから、短く済まそうという声にひっかかって
しまう。
みことばが大切で、みことばに立って行く生活をしたい。

Bちゃん「“わたしのことばがあなたがたにとどまるな
ら”ヨハネ15:7 わたしのことばがとどまる とあ
るように、自分の心の内に、イエス様の語って下さる言
葉がいつも心にある生活をしたい」

先週、C婦人が「人の言葉にすぐ惑わされる。子供のこ
とについても、周囲から、ああだこうだと言われると、
落ち込んで、思い煩いに沈み込み、暗くなる。
人の言葉を受け入れて、心が暗くなる。その時に御言葉
が心に来た。

“わたしの目にはあなたは高価で尊い”この御言葉を何
度も、何度も心に反すうした。
すると、心が変えられた。心が落ち着いて来て、子供が
いとおしく思えた。心がすっかり平安になった。
御言葉の力を体験した。御言葉が心にとどまっていると、
みわざを見る。

今週も、みことばにとどまり、みことばに立って行ける
ように。
“どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していること
でしょう。これが一日中、私の思いとなっています”
詩篇119:97
by 多恵子