2005年01月16日(日)
「母の死」
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先日、81才の母が天に召された。
去年の春前、10ヶ月前に、父が天国へ旅立ったところだ
った。元気だった母が、気力ががっくり失せて、食欲無く、
身体も弱って来た。
夏に心不全で入院。貧血がひどくて、心臓に普通の2倍の
負担がかかるとの事。輸血治療を行っていた。
一応治療済み、療養型病院へ転院という事になり、退院時
の検査で、何と胃癌が発覚!!
まず医師がええっー!!と、びっくり。体力無く、もう高齢
で、手術は無理なので、見守ることに。幸い痛みは全く無
かった。
転院して、歩けていたのがベッドの中だけになり、少しづ
つ弱り、多分、転移もしているのではと。
暮れに、突然痛みを訴え出し、激痛のようで、衰弱がどん
どん進んで行った。食物が摂れず、すべて点滴に。
そして、お正月が過ぎた頃、心臓の急変で、神様のもとへ
帰って行った。
母のために祈る中で、いつも「私の時は御手の中にありま
す」「神のなさる事は、すべて時にかなって美しい」の御
言葉が臨んで来た。
「すべて」なんだと改めて。幸せな事だけでなく、苦しい
事も、悲しい事も、「すべて」の時が、神様の美しい時な
のだと。
一番美しい時に、天に召して下さったのだと感謝できた。
父が、「夕暮れ時に光がある」ゼカ14:6 の通り、亡
くなる半年ほど前に、神を受け入れ、はっきり信じてくれた。
身体が弱って来る母も、父と同じ天国へ行って欲しいと、
福音を伝え続けた。最初は「自分はお父さんのようには、
すぐ信じることは難しい」と言っていたが、少しづつ少し
づつ、神は働いて下さり、最後には受け入れてくれて、天国
へ行くと同意してくれた。
その救いの確認ができた、1週間後、天に召された。神のな
さる事は、すべて時にかなって美しい。
私が救われて以来、38年間、両親の救いのために祈り続け
て来た。両親とも、救いはほとんど今際の際であったが、38
年の祈りが答えられた。
もう一つの祈りは、この救いを親族にも証ししたいとの祈り。
両親共の葬儀を教会で執り行え、親族が福音を続けざまに
聞く機会が与えられ、祈りの答えに感謝!!
「神のなさる事は、すべて時にかなって美しい」
癌は前からあったのだろうけれど、退院時の検査で発覚。
もし、入院していなかったら、癌もわからないままだった・・。
癌発覚により、こちらに死の備えができて、切なる祈りが与
えられ、もう時間限定と、見舞う度に、神様のことを伝える
ことが出来た。
両親が間を置かず亡くなり、とても寂しくはあるが、天で
二人が安らいで幸せであることに、深い感謝と平安、喜び
が与えられていて、こんな慰めはないと、しみじみと感謝
に溢れている。神様、有難う!!!
by多恵子
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