2005年04月17日(日)
  「生活に“気持ち”がある」

忙しいと、「心」が「亡びる」。

Bちゃんが話して来る。毎日毎日目の回る忙
しさで、すべてに心が立ってしまっている。
座することがない。朝にデボーションするが、
それ自体も、次のスケジュールが気になって、
もうすでに心が立ってる。

御言葉に心が集中していない、神様に向いて
いないから、字だけ追って、御言葉が何もと
どまっていない、入らない。

忙しさの途中に、ふと今日の朝の御言葉は何
だっけ?と思うことがあっても、全く思い出
せない。何一つとどまっていないのだ。

でも、する事は次々と臨み、スケジュールに
追われて、疲れ果てて1日が終わる。
そこに、心や気持ちが伴わず、沢山のなすべ
き事をこなしているという感じだ。そして、
自分の思いと自分の力で成し遂げている。だ
から、イライラするし、思い煩い、流されて
しまっている。

周囲にも心を向けられない。配慮ができない。
自分のことだけになってしまう。

ぶどうの木に、イエス様にとどまっていない。
“わたしを離れては、あなたがたは何もする
ことができないからです”ヨハネ15:5

「祈りがあり、御言葉がとどまっていると、
生活に<気持ち>があって、潤いがあって、
喜びがあるんよね。」
「そうです!そう!御言葉がとどまっていると、
全然違う。一つ一つのする事にも心があって。」

「イエス様から離れていると、イライラ、イ
ライラして、周囲もさばきまくって(笑)
やるべき事は、全部こなしてるんだけど、心
が荒んでる。まさに離れている」

“わたしにとどまりなさい。わたしも、あなた
がたの中にとどまります。

あなたがたも、わたしにとどまっていなければ
実を結ぶことはできません”

“人がわたしにとどまり、わたしもその人の中
にとどまっているなら、そういう人は多くの実
を結びます”ヨハネ15:5

by多恵子