2005年11月13日(日)
  「朝の交わり」

週の始めに、神様を礼拝して、気持ちよく新しい
日々が始まる。
「ところが忙しくて、デボーションがおろそかになる。
すると、どんどん何だか、祈りも御言葉も上っ面だけ
になって行くんですよお」とAちゃん。

先週は、もうさんざんでしたと。
朝、字ずらだけ読んで、バタバタとデボーションを
済ませる。心が立ってしまっていて、座していない。
ちゃんと神様と交わっていない。形だけのデボーション。
すると、肉がどんどん勢いを増して来る。
対人関係の対応に、日々の状況に、イラ立ち、思い煩
い、腹立ち、焦りが出てくる。

ちゃんと朝、交わった日は、それが肉であるとわかる。
心に御言葉がとどまっていないと、肉であることすら
わからず、ずうっと後になって、あの時はああでこうで
と悟る。

朝、しっかり交われると、御言葉が一日、心にとどま
っている。それは思い出すとかいうものでなく、心に
ずっとある。自然に、反芻し、力とされる。

ところが、御言葉がとどまってないと、朝のデボーショ
ンは、何の御言葉だったかすら、思い出せない。
そして、起こる様々な事態に、肉の判断、肉の思い、肉の
力で対処している。それがわかるのも後になってから。

そうなって来ると、凄まじい世の勢力に押し流されて
しまい、座する事をせず、立ったまま日々を過ごす。
どんどん悪循環で、心に思い煩いや、いら立ち、ちょっと
した事に怒り、焦り、それに飲み込まれてしまう。

日曜、教会へ来て、肉で過ごしたと、流されていた事に
気づく。物凄い否定的な方へ、不要のエネルギーを
使ってしまっていた。疲れ果てていた。
まず流されている事に、気づかない。

教会へ来ると、流されていたことに気づけて感謝。
神様を礼拝して、もう一度正しい位置に戻され、
不毛の、先週一週間の状態が解き明かされ、わかる。

気づけることが感謝!!
新しい一週間が、与えられていることが感謝。

“主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です」と。”哀歌3:22

新しい一週間に、主を期待し、喜べる事が幸い。
by 多恵子