2006年05月22日(月)
  「ひとりを呼び出し」

遠方のBさんから手紙が。
「母が聖書を読んでいます。感謝です。救われるよう祈って下さい」

Bさんは、14,5年前に、日本にいた時に、私達の教会の日本人集会に来会。ずっと主に在る素晴らしい交わりを与えられて来た。

実家はお寺。ご両親はお寺の住職さんだった。
「実家に帰った時は、場所が無いから、いつもお寺の本堂で寝るんですよ」と、話していた。(^^)

皆で家族の救いをいつも祈るが、Bさんも、住職のご両親の救いをずっと熱心に祈り続けていた。

お父様が危篤との突然の連絡に、海外から取り急ぎ帰国した。
祈りの要請の電話があり、こちらでも祈っていた。
とにかく、福音をお伝え出来るように、証しできるように。

Bさんはお父様の危篤と同時に、身も心も裂かれるような大試練が臨んだ。その試練を抱えての、もう考えられない状況だった。

しかし、試練はあるが、その試練のまっただ中で、主は心に平安を与えて下さって、お父様に向き合えるように助け、支えされた。
ずっとそばにいて、しみじみと子供の頃の話や思い出話や、色々な話ができて、父娘の心通い合う時とされた。
父娘でこんなにゆっくりと、しみじみと、いろんな事を話すのは初めてだったと。素晴らしい恵みの時とされた。

「聖書の神様のお話をしてもいい?」と聞くと、住職のお父様が、「ああ、いいよ」と承諾、受け止めて下さった。
平安の中で福音を語れたと。よく聞いて下さって、「すぐに信じるとは言えないが」と、しかし一緒に祈る事も、承諾され、祈れた。立場もあられ、そうだろうと。

御言葉の種が、はっきり蒔かれた。その後、亡くなられたが、神様にお委ねできた。

Bさんは帰省の度に、証しし続けて来た。前回は、御霊様の強い導きを感じて、御霊の導きの中で、福音が語れて、お母様は耳を傾けてよく聞いて下さった。
そして、今は、ご自分で聖書を読まれている。牧師先生が、時々
訪問して下さっている。
お母様も以前は住職をしておられた。神様のみわざだ。神様は、
祈りに答えて働いて下さる。

私の両親も、いまわの際に救って下さった。天国へ入れて下さった。奇跡のみわざだった。

「あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えよみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを」イザヤ51:2

ひとりで良いんだ。ひとりが救われて、そこから家族へ、救いが
伝わって行く。神様の祝福が長い長い時間の祈りをかけて、家族に浸透するように及び、家族を救って下さることを信じている。

by 多恵子