2006年08月22日(火) 「一つ一つに目的が」
近隣のいざこざが、なかなかあるようで共に 祈る。 Aさん、理不尽な対応が様々あるようで、心 痛め、消耗し、祈り続けている。 以前、Bさんが隣の方が、後でわかれば病気 であったのだが、誹謗中傷されて、まいって しまった。 ある事、ない事を言われる。最初わけがわか らず、混乱して、思い煩って落ち込んだ。 それも、事実無根の様々を、近隣に言いふら されて、近所の人から耳に入って来て、ショ ックで、気が動てん。自分に悪い思いを持た れているのか、攻撃的で、対応に苦慮。 祈りに祈りながら、悩んで、神様にこの事を 委ねた。すると、自分の側の心が変えられて、 もう事実無根の中傷をされても、自分はそう ではないので、真っ直ぐに立っておれた。 どうしてこんな辛い苦しい事がと思い、祈っ ていた時、自分への神様からの取り扱いと わかった。 昔から、人一倍、人の事が気になって仕方が ない。人にどう思われているか、人の評価、 人の思い、人からの言葉、それが自分の弱さ だった。人に依存しているという事だ。 その弱さがわかっても、それを自分で直そう としても、どうも出来ず、どうにもならない。 そこの部分を神様がガーンと取り扱われた。 近所に有る事、無い事、言い広められる事を 通して、自分がもう砕かれて、もういいと思 えて、この事を通して初めて、人が何を言お うが、どうしようが気にならなくなった。 全く気にならなくなった。自分が変えられた。 そのための試練であり、通らなければならな い苦しみであった。 神様が教えて下さりたい事がわかって、すっき りした。感謝に変わった。すると、隣の人が入 院された。数年後帰宅されたが、それからはそ ういう事は無くなった。 神様の取り扱いに心から感謝した。 日常に様々な事が起こるが、一つ一つが神様 から来ており、意図と目的を持っておられる。 by多恵子