2001年09月11日(火) 痛いけれど、さわやかな
メル友から続けての祝福が届けられた。 ・・教会で一人の婦人に誤解から、失礼な態度を 取ってしまったのです。全く事情を知らなかった ゆえの事でした。 聖霊様が私の心にどんどん、どんどん臨まれ、謝 罪を示されました。次に行った時、謝ろうと決心 しました。 そして、その時に、その方の背景を知り、自分を 心から恥じました。恥ずかしくてたまりませんで した。 その方の所へ行き、一言発した途端、涙が溢れて わーっと泣いてしまいました。謝罪すると、こち らこそごめんなさい、ご迷惑かけてしまってと、 言って下さり、赦して、励ましてまで下さったん です。 神様ごめんなさいの連続で、その方の言葉に神様 を見ました。 自分の膿を出して下さいとの祈りが増えました。 神様の砕きはとても痛いけれど、後は心にさわや かな風が吹き抜けるようでした。赦された喜びが 心に溢れました。嬉しくて嬉しくて、賛美が溢れ ました。神様の祝福は素晴らしいものでした・・・ “神へのいけにえは、砕かれたたましい。 砕かれた悔いた心。神よ。あなたはそれを さげすまれません”詩編51:17 “主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、 たましいの砕かれた者を救われる”34:18 “わたしは高く聖なる所に住み、心砕かれて、へ りくだった人とともに住む”イザヤ57:15 自我が一番痛い事、出来ない事が、「謝ること」。 謝る事とはへりくだること、そして、神様の一番 祝福して下さるのが、この砕かれた心・・・ 改めて教えられつつ・・ by多恵子