2007年04月15日(日)
  「ともにいます」

失望落胆、絶望して、郷里へ帰るエマオ途上の
二人の弟子。
イエス様が、かたわらを歩まれ、語りかけられる。
「話しているのは何のことですか」

二人の弟子達は「暗い顔つき」で答える。
弟子達の言葉はすでに過去形になっている。
「・・力ある預言者でした」
「望みをかけていました」でも、だめだった・・

夕陽に向かって、とぼとぼと、失望落胆、挫折、
暗い顔、まさに斜陽だ。

弟子達には、語りかけられているのが、主である
事が全くわからない。
不信仰ゆえに、目がさえぎられて、主が見えない
と言われた。

毎日の生活で、常にかたわらを歩んでいて下さる
イエス様。朝起きた時から、一つ一つの事を共に
負って歩んで下さっている。

「心の鈍い人たち」鈍い目だと本当に見えない。
でも、イエス様に焦点を合わせると、生活の一つ
一つを共にして下さっている事に喜びが溢れる。

イエス様が御言葉を解き明かして行かれた時に
弟子達は心が赤々と燃えて行った。
暗い、空虚な、虚無の心が生き生きと躍動し
喜びが満ちて行った。奇跡だ。

よみがえりのイエス様が、今も御言葉を解き明か
していて下さる。
主が語られる御言葉に、耳を傾けて行く時、目が
開かれて行く。

よみがえりの主が、「見よ。わたしは、世の終わ
りまで、いつも、あなたがたとともにいます」
マタイ28:20
と言われた。

「イエスは生きておられる」ルカ24:23
その生きておられる主が、今日も、今もともに
おられる。

ただの言葉でなく、主が解き明かして下さった
言葉、御霊による語りかけによって、心が喜び
に満ちた。御霊の喜びだ。