2007年05月11日(金)
  「動機」

Aさんと話していて、動機について覚えさせられた。

Aさん「職場で、ちょっと仕事がうまく出来ない、
Bさんがいて、仕事がうまく回らず、他から文句も
出て、困っていた。
仕事の必要上、手際よさが求められ、時間的にも押
されて来るし、どうすればよいかを話し合った。
その時に、Bさんの話になって、Bさんのためにも、
仕事がスムーズに行くためにも、色々話し合った。

Bさんの事も出たけれど、Bさんの知らなかった面が
色々理解できてとても有益だった。仕事面の事も話し
合え、心はずっと平安だった。話し合いの後も、平安
に包まれていた。

ところが、次の時は、余りに忙しさの中、仕事がうま
く回らず、焦るし、締め切りが迫ってるし、時間は無
いしで、ミスが出るとつい心の内でイライラしてしまう。

顔は、大丈夫、大丈夫と微笑んでいるが、心ではさば
いてしまっている。こんな時にミスが出ると、大幅に
遅れてしまう。気をつけて欲しい、イライラが募る。

仕事の解決策を話し合う時、Bさんのミスの件が出た。
カバーして行こうと、外側良いように言うが、心に全
く平安が無かった。話し合いの後も、平安が無かった。

動機について聖霊様から示された。外側、全く言葉は
同じだし、態度にも振りにも、いら立ちは出していない。

しかし、言葉の背後にある動機が全く違う。初めのは
Bさんを理解しよう、思いやろうとの動機だった。
Bさんを受け入れ、受け止めて、何とか前向きに、肯定
的に進めて行こうと。

次のは、心にあるイラ立ちを発散させた。クリスチャン
ゆえ悪口は決して言わないが、心では責めてさばいて、
イライラを、理解ありそうな振りの裏に、発散させてい
て、心ではっきりさばいていた。
だから、全く平安が無かった。帰ってからも平安が無い。

聖霊様から気づきを与えられ、動機を悔い改めた時に、
平安が戻った。回復して、喜びが来た」

主は外側の行為でなく、いつも動機を見ておられる。
心が問題だ。
外側、問題なくやってしまうと、自分が自分に欺かれて
しまう。

平安を与えたり、取り去ったりして、実地に教えて下さ
る聖霊様が感謝。間違ったなら、平安が失せる。
いつも、聖霊様の光のもと、心探られて歩めるように。