2007年06月18日(月)
  「思い通りでなくて当然」

わいわいと話をしている中で、

Aさん「ショックな事や、思い通りにならない事が
起きますよね。すると『何でよ!』『何でなんよ!』
と、反抗的な思いが出て、怒りが湧いたり、又、
思い煩いや、不安もあるし、落ち込んで、悶々
状態になる。
『何で』『何で』の繰り返しで、堂々巡り。
何でかなど、わからないし。

落ち込んで、悶々状態の暗い中で、でも、ふと
神様を見上げると、不思議なんですが、神様は
きっと良くして下さるとの思いが来るんですよね。

良くして下さる、最善をして下さるお方だと思うと、
不思議に、あの否定的思考、怒りや不安や、
思い煩いの迷路、悶々がストップするんです。
止まるんです。

それで、あ、これでいいんだ、良かったんだと、
思える。どんなに不都合で、マイナス要因が
あっても、これで良かったんだと思えるから、
不思議ですよねえ。」

「神様は良くして下さると信じるのが、信仰で、
怒りや思い煩いのドつぼから、信仰の方へ
方向変換したんだ。信仰のメガネをかけたので、
だから、すべてが肯定的、信仰的に見える」

Bさん「思い通りにしようとする自我が強いから、
いつもイライラして、不平不満が募るんですよねえ。
今日は、ああしよう、こうしようとの思いがある。
すると、必ず思い通りにならない。

あれをして、これをしてと思っているのに、突然の
長電話が入ったり、突然の来客や、突発的な
処理の必要な事態が入る。

すると、あれもこれも出来なかったと、何だかイラ
イラして。妨害された、邪魔されたと思って。
すると達成感がなく、今日一日無駄だったみたいに
虚しくなって、どっと疲れて、しかも全然面白くな
くて、喜びも平安もまるで無い。」

Cさん「あ、わかるわかる。それって、全然神様を認
めてないんよねえ。“あなたの行く所どこにおいても、
主を認めよ”箴言3:6
自分、自分になって、自分だけが出ていて、主が吹っ
飛んでる。来客も、電話も、妨害じゃなくて、主を認
めて、主の御心でお導きなんじゃ」(笑)

「“そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる”
その通りじゃわ。そうですよねえ。邪魔で妨害じゃな
くて、主が何らかの御心をもって、目の前に置かれて
るんですよねえ。

冷静に考えたら、予定した事は全然出来なかったけれ
ど、でも、その人と、とても良い交わり与えられたん
ですよ。感謝ですよねえ。すべての道で主を認めて行
きたいです」

「思い通りにならない。思い通りにしようと思うから、
葛藤が生じて、怒りやいら立ち、思い煩いで一杯になる。

思い通りにならなくて、当たり前と思っていたら、腹が
立たないし、平安に喜びもっておれる。

でも、思い通りにというのは、物凄く頑固で頑なな強烈な
自我だとつくづく思う。