2008年07月20日(日) 「行き詰まりは、しあわせ」
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせ でした。私はそれであなたのおきてを学び ました」詩編119:71 いろんな人々が、行き詰まったから神様を 求めたと言う。 行き詰まらなかったら、求めていなかったと。 Aさん「小さい時は教会へ行ってたが、神様 離れて、自分の好きな道へ、思うように歩ん で行った。神様は飛んで行ってしまっていた。 いろんな事で切羽詰まって、ふと教会へ行 こうと思った。」 「じゃあ、切羽詰まらなかったら?」 「あ、それはもう帰ってないですね(笑)行っ たままです」 「では、切羽詰まって良かったんじゃ」 「はい!良かったです(笑)」 Bさんが若い時に、熱心に教会へ行き、伝道 活動も、当時の青年方と一緒に懸命にやって いた。 ところが就職して、世に出た途端、世が新鮮で いつしか世の中の楽しみで、生活がいっぱいに なり、神様から離れてしまった。 やがて、結婚して、育児やいろんな事で行き詰 まりを感じて、どうしても教会へ行きたくなった。 転勤、転勤で、全く知らない教会で、外から何度 か様子を伺いつつどうしても入れなかった。 ある時、そっと様子を伺っている自分を、一人の 婦人が見つけてかけ寄って下さった。でも、なぜか 自分は逃げ出してしまった。 すると、その婦人は止まらないで、どこまでも追い かけて下さった。やっと足を踏み入れられるように なり、神様の御前に悔い改める事ができた。 それ以後、ずっと神様に従っておられる。 あの時、婦人が、諦めないで追いかけて下さった ゆえですと。 神様は、どこまでも追いかけて下さるんですねと。 Cさん「ずっと小さい時から教会に行っていて、小 さい事はただ楽しかったんだけど、思春期になる と、何で毎週教会へ行かないといけないのかと、 思うが、もう行くもんだと思ってるので、身体は行 っているが、心は全然無かった。 心は全くなくて、今から思えば、何しに教会へ行っ てるんだろ(笑)と。 でも、そんな中で、学校の友人関係ですごく辛い 事があって、心が苦しくて、苦しくて、どうにもでき なくて、その時に初めて、神様!神様!!と心か ら、もう必死に求めた。 あれがあったから、今がある(笑)あの苦しみが 無かったら、神様を全然求める事が無かったと 思う。試練は辛いけれど、やっぱりそれが無いと 神様求めない。ほんとにあの時、試練があって 良かった、しあわせですと、心から言える」 Dさん「以前も嫌ではないので、聖書のお話聞い ていたが、もう全く頭の中だけの話。実生活は 全く関係なく、結びつかず、自分で生きる、自分 で切り開く、自分の力でやる、自分、自分・・ でした。 そこにガーン!!ドカーン!と自分では完全に どうする事もできない試練が来て、神様のもとに もう飛んで来て、救いと平安と喜びを頂きました(笑) 今思えば、あの試練が感謝で、感謝で(笑)あれ が無ければ、いまだに絶対に神様に出会ってない です!」 自分自身振り返っても、真に神様に出会ったのは 試練の中だ。 「神を求める人はいない。すべての人は迷い出て みな、ともに、無益な者となった」ローマ3:11 神がそう言われるからには、ほんとに、人間て神を 求めないんだ、放っておかれたら、どうなっていたか わからない。 苦しみに会ったことは、しあわせだったと心から 思う。そのつど、何より神様を知って行けるから。