2008年08月08日(金)
  「肉に対して責任なし」

何やかや交わっていると、

Aさん「周囲の人々と話していると、価値観
が全然違って、正反対で、例えば、ギクシャク
する相手に、自分から謝ったと言うと、

「何で謝らんなん!そんなの無視すべきだ!
相手が悪い!謝るなんて!!」と、自分が
非難の的になる。

神様が「何も思い煩うな」と言われるので、
神様に祈って委ねて、ほんとに平安与えられ
て幸せで感謝でいると、

ノウテンキとバカにされる。(笑)
自分もしっかりしてないから、周囲に影響
受けて、ちょっとは思い煩わないといけん
のんじゃ、自分はおかしいのでは、と世に
流されてしまう。(笑)

自分の自我だと示され、相手に謝った時も
すごい平安に満たされたのに、相手が悪い!
謝る必要などない!と世の人に言われて、
そうなのかな?と引っ張られてしまう。(笑)

Bさん「わかる!何も思い煩わないで、求め
を神に告げよと言われるので、その通りに
すると、神様が必要は備えて下さると
平安になる。
すると、思い煩わないと、バカな人みたいに
言われて、思い煩わないといけないんだと
いう気になる。
思い煩わないのは、おかしいんだと。
周囲の影響を受けて、引きずられる(笑)」

「でも、教会に来たら、ああ、いいんだー。
皆が喜んでくれて、ほっとして、嬉しい」

“ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って
歩む責任を、肉に対して負ってはいません”
ローマ8:12

あたかも。肉に対して責任があるかのように
感じてしまう。ちょっとは思い煩わないといけ
ないとか、思い煩わないと無責任な気がして。

しかし、無い!と言われる。

“だれが、心配したからといって、自分の
いのちを少しでも延ばすことができますか”
マタイ6:27

心配していのちを延ばすことが出来るのなら、
心配すればよいが、絶対にできない。
心配に何の意味もない。