2009年11月16日(月)
「懲らしめが愛」
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「愛する者を懲らしめ」
“主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべて
の子に、むちを加えられるからである”ヘブル12:6
懲らしめは、神様の愛であることを学ぶ。
痛い事、しんどい事、苦しい事と、「愛」がすんなり
リンクしない。
「愛」とは、温かいもの、平穏無事な事、順風
である事、喜びや平安であって、苦しみや悲しみ
辛さ、痛みは、「愛」の対極をなすと思ってしまう。
だから、痛み、苦しみがあると、これは愛では
なく、愛されていないと思ってしまう。
この世で培われた価値観を、神様の価値観、
御言葉の価値観に変える必要がある。
神様を信じたなら、畑は豊作、病気やけがは無く、
受験はすべて合格、大金持ちになり、何の問題も
無い・・なら、自分が変えられる事は決して無い。
砕きたくて、何かを教えたくて、目の前の一つ一つの
事態は起きている。
学ばなければ、痛いだけで終わりで、自分は何も
変わらないので、同じ事を繰り返す。
Aさん「自分の失敗で、辛い苦しい事態を引き起こし、
消えてしまいたいほどの思いで、苦しくてたまらなか
った。眠れず、食べられずの日が続き、しかし、
幾ら、どう悔やんでも、元には戻らない。
でも、この痛みを通して色々な事を教えられた。
今まで私は罪人の頭の認識など無かった。今は、
罪人の頭だと思える。
環境に対しても、不平や愚痴が多く、感謝が無かった。
自分の汚さが本当にわからされた。
今までの悩みや問題が、全く問題で無くなった。
ほんの小さな事に思える。
どんなに守られて来たかに、初めて思いが至り、
感謝でならない。更に教えようとして下さっている
事を受け取って行きたい」
Bさん「今、厳しい試練のまっただ中だけど、
ほんとに神様見ている時は、平安でおれる。
将来も、先も何も見えないけれど、平安でおれる
からすごい。
神様がおられるから大丈夫、必ず良くして下さる
と思える。何の不安も無い。
ところが、神様から目を離し、状況と自分を
見た途端、海上歩行のペテロのように、一瞬に
してブクブクと沈む。
将来が不安で、不安で、真っ暗になってしまう。
この差がはっきり、くっきりしている(笑)
愛されてるんだと、神様を見ていたい」
Cさん「学びしていて、今までの人生の一つ一つの事、
辛かったあの事、嫌だったこの事、どうしてこんな事が、
の苦しかった事、その一つ一つが神様の愛であった
とわかりました。
神様を信じれます。今、感謝できます」
Dさん「苦しかったが、この試練でなければならなかった。
このセッティグでなければ、自分にはわからなかった。
思い返す時、パズルがつながり、感謝しかありません」
“苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました”詩編119:71
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