2010年03月01日(月)
「神の栄光のため」
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有名な御言葉、「この人が罪を犯したので
なく、両親でもありません。神のわざがこの
人に現れるためです」ヨハネ9:3
を学んでいた。
皆で、何やかんやと語り合う。マイナスな
出来事が起こると、あの罰か、このバチか、
あの人のせい、この人のせいと、すぐに
犯人捜しをしてしまう。
クリスチャンになっても、根深い古い価値観
があるので、目の前の事に反応してしまって、
あの人が、この人がこうしさえしなければ、
こうはなってない・・、又、自分も責める。
でも、そこに何の解決も無い。全く無い。
喜びも平安も無く、ますますネガティブに
落ち込んで行くだけだ。
それは「神の栄光が現れるため」
何と希望があって、救いがある事だろう。
Aさん「ずっと、自分の欠点、弱さ、劣っている
所、出来ない所ばかり見て、どうにもならない
時期を過ごした。悶々として、苦しくて苦しくて、
たまらなかった。
こうなったのも、親が悪い、親の育て方が悪い、
生まれた地が悪い・・あのせい、このせいと、
過去から抜け出せなかった。
でも、今、『神の栄光が現れるため』が素直に
信じれる。心に平安と喜びがある。
親をずっと責めていたが、今は親がどんなに
愛してくれていたか、ほんとに神様から目が
開かれてわかり、今は、親に感謝で感謝で
ならない。親の立場に立って考えられる。
自分が変えられた。すべての過去も、
『神の栄光が現れるため』、何と嬉しい事かと
思う」
状況は全く同じ、何も変わってない、Aさんが
変えられた(^^)/神様視点に立って、神様に
焦点が合った時、同じ状況で、喜びと平安
に変わる。
状況でなく、自分でなく、過去でなく、神様に
視点が合うと、問題が問題でなくなる。
今、目の前にある問題も、悩みも、「神の栄光
が現れるため」に与えられている。
それらを通して、神の栄光が現れる!!
であるなら、いつでも希望があり、感謝がある。
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