2010年08月01日(日)
  「主の平安」

Aさんが、ある非常に困難な事態に向かわねばならなかった。
恐れと不安でいっぱいだ。もう恐怖だ。
ああなればどうしよう、こうなればどうしたらいいのか、
どんどん最悪のシナリオが出来上がる。

もう勝手な思いで、妄想は膨らみ、不安で、わけわからなくなる。
思い煩いや、又、関連して昔の出来事を思い出しては
怒りも出て来る。
恐れ、不安、思い煩い、怒り、心は疲れに疲れ果てる。

もう気持ち的に限界で、感情も思いも、すべて神様のもとへ
持って行き、あらゆる感情、思いをことごとく言い表して、又、
ぶつけて行った。

瀬戸際の中、心底拠りすがった。

すると、不思議な事が起きた。あれほどの恐怖、不安、
思い煩いが消えた。

そして、心に何の不安もない、平安と安堵が臨んだ。
初めての経験だった。
更に、思い煩いどころか、神様がどのように事態を良く
して下さるのか、導いて下さるのか、楽しみにさえなったのだ。

初めて「主の平安」を経験した。心底、拠りすがったゆえ
だった。

「こんな平安があるなら、人生、何があろうと、大丈夫じゃ
ないですか。すごい人生に招き入れて下さったんですねえ」

Bさんは、初めて経済的危機に陥った。
今まで、仕事をしていて、必ず毎月決まった収入があり、
普通に生活をしていた。
その仕事を、辞めざるを得ない事情が生じ、収入が無くなった。
もうパニックだった。不安で不安で、ほとんど恐怖だった。

「必要は絶対に与えられるから、大丈夫!何の心配も無い!」
と言っても、初めての経験なので、わからない。

ところが、神様は、天から思いを越えて豊かに降らせて
下さった。溢れるばかりに必要が与えられた。

その経済的必要が満たされる経験を、一つ、一つ、重ねて
行く中で、ある時、最初の頃から見ると信じられない言葉
が出た。

「今度もまた、経済的危機なんですが、今まで満たして
下さった神様は、今回どうやって与えて下さるか、楽しみ
です!平安なんです」と微笑みながら。

小舟のともの方で、大嵐のまっただ中で、熟睡しておられた
イエス様。全き平安と安堵の中におられた。

嵐の中で「主の平安」を下さる。
明け渡して、委ねて、この主が下さる、世には無い、「平安」
の中におらせて頂きたい。


「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違い
ます」ヨハネ14:27