2010年10月02日(土)
  「わたしの平安」

人生の海の嵐に、もまれ来し、この身も〜

♪「いと静けき、港に着き、我は今、安ろう〜
救い主イエスの手にある、身は、いとも安し」♪

罪の嵐、自我の暴風雨にもまれ、なかなか受け入れ
難い事態を、受け入れる時に、いと静けき港に
着いて、平安に満たされる。

Aさんと「もう、主の平安、この平安だけが何に
も代えられないですよね。
人を赦さなければ、平安は無いし、事態を受け入れ
なければ、平安が無い。

平安が無いということが一番苦しくて、辛い。
もう平安が欲しいですから、従います!になります
よね(笑)

人を赦さない心は、苦しくて、苦しくて、心が重く
暗く、ほんとに牢獄ですね。真っ暗闇の牢獄の中」

Bさん「赦せない、じゃなくて、赦したくない自我
ですよね。赦せないじゃなくて、赦さない(笑)
でも、自分は苦しいばかり。平安が全く無い」

Cさん「そうそう。でも、自分の選択で、意志で
受け入れることを選びますと、自分に死んで行く
時、すごい、平安に満たされますよね。
もう、大海原のような、大海のような、平安に
飲み込まれる感じ。」

「わかる、わかる。この平安があれば、もう何も
要らない。心が満ちてて、天国のようで、この
平安と何ものも、絶対に代えたくない。
何とも、交換したくない。」

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたし
は、あなたがたにわたしの平安を与えます。

わたしがあなたがたに与えるのは、世が与える
のとは、違います」ヨハネ14:27

世のものではない、「わたしの平安」、主の平安
が、心の隅々にまで染み渡る。

友人が人生最大の危機を通った時、心裂かれ、
心身ボロボロ状態であった、そのまっただ中で、
この「わたしの平安」を経験したと。

御翼の陰に、かくまわれ、外は気が狂いそうな
大嵐、暴風雨の中、心は全き平安だったと。

人生何が襲い来ても、この平安に守られること
に感謝だ。