2011年04月01日(金)
  「測り知りがたく、高い」

集会の中で、Aさんが話して下さった。

若い宣教師家族が、神様の示しと導きにより、発展途上の
へき地へ、海外宣教に出ることになった。

若い夫人は、治安面、健康面、あらゆる事を考え、この先、
何があるかわからない、どうなるかわからない。

覚悟を決めた。今、一度自分のすべてを主にお献げしようと
その証しに、献金袋が回って来た時に、結婚指輪をそこに
入れて、主に献げた。

自らの心も、何もかもを主イエス様にお献げした、決心だった。

献金袋に、指輪が入っていて驚き、そして、牧師は主はその
心を受け止めて下さったと、彼女に指輪を持っているように
と返したそうだ。

そして、いよいよ宣教地へと若い家族が、飛び立った。
それも、経済的なものから、普通の飛行機でなく、小さな
セスナだった。

その宣教地へと飛び立ったセスナが、途中で墜落し、
一家は全員亡くなってしまった。
そして、不思議な事があり、彼女の聖書だけが燃えずに
発見されたと。

今から主のために働こうとしていた、若い夫婦がなぜ??

神様のみ思いは深くて、高い。時に、人間には量り知れ
ない。


「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深い
ことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、
その道は、何と測り知りがたいことでしょう」

「なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。
また、だれが主のご計画にあずかったのですか」

神様の思いは、私たちの思いを遙かに越えて高いので、
誰も知ることができない。余りにも深くて、人が
理解できるような単純なものではない。

「また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか」

私たちが神様に何かを与えて、神から何かを貰うことは
無い。すべてが神様のみ思いのままになっている。


「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって
成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光が
とこしえにありますように。アーメン」

頭でなく、心には静かな納得が行って、神様への聖なる
畏れと共に、ひれ伏す思いにさせられる。