2011年07月03日(日)
  「委ねられない」

「委ねること」について、わいわい話していた。

Aさん「サタンからのしつこい誘惑が来て、
自分の弱い所に働いてくる。
思いに働いて来て、神様から離そうとしている
のがわかる。

でも、自分のしたい事、好きな事を絶対に放し
たくない。持っていたい。握っていたい。
でも、それらの事に平安は無い。神様の御心でないと
わかる。

でも、自我は、肉は、放したくない。ずっと悶々状態
で、放すのは嫌だけど、神様から離れるのは嫌だ。
中途半端で、平安も喜びも無いし、肉の喜びは
虚しいこともわかる。

宙ぶらりんの状態が続き、こんな状態でいても
何の実もなく、喜びもなく、とうとう神様に手放す
決心をした。神様に献げた。

すると、あんなに手放せなくて、執着していた
思いがきれいに取られて、思いが消えて、
心が平安になってしまった。

神様のみわざ、奇跡!自分で何一つ頑張った
わけではない。ひとりでに無くなってしまった。」

皆で神様のみわざに、びっくり!!

Bさん「え!ほんとに??ほんとに無くなったん??」

Aさん「ほんとに、思いが消えてしまったんよ」

Bさん「すごい励まされるわ。私も、委ねられるように
祈って行きたい」

Cさん「ほんと、委ねられますように、よね。なかなか
委ねられないから、これが問題なんよねえ」

Dさん「御霊の働きで、神様の恵みですねえ。自分
では出来ない。委ねることが出来ないのが、よく
わかる。肉は絶対に握りしめて放さない。

聖歌「おどろくばかりの」に

♪ めぐみはわが身の 恐れを消し
       まかする心を 起こさせたり ♪

委ねる心を起こさせるのは、めぐみだとある。


「委ねたくありません」の祈りから始める時、
本当に神様が働いて、みわざをして下さる。

Aさんも「神様、嫌です。委ねたくありません」
「委ねられません」とずっと祈っていたら、
神様が委ねられるようにして下さった。