2012年01月09日(月)
  「希望がある」

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」
Tコリント13:13

義母が昨年のクリスマスの朝に、天に召された。

一連の出来事に神様の栄光と奇跡を拝した。

突然、訪問先で、心筋梗塞で倒れ、意識不明に。
そのまま心肺停止になり、身体も冷たくなって行く中、
たまたますぐそばに、何と良い心臓専門病院が。

緊急処置で蘇生。意識回復し、奇跡だった。
私たち家族が駆け付けた時は、元気で、驚かされ
た。

イエス様の救いの明確な確認ができて、死線を
通った義母は心底安堵した表情になり、素晴らしい
笑顔になり「先に天国に行って待ってるからね」
との言葉が。

私達が戻った後、又、昏睡状態のように、眠った
ままに。それが子供が駆け付けると、意識はっきりし、
話せて。又、昏睡に。仕事の都合つき、別の子供
が行くと、又持ち直し、意識はっきりし・・
順番に、結局、全員意識鮮明に会えた。
神様のみわざだった。

「又、会えるからね」「ずっと一緒だよ」その言葉を
御霊の働きの中で、御霊によって受け取った義母
は「幸せ」「感謝!!」と満面の笑みに。

今から死んで行く人が、「幸せ」と、神様のみわざ
だった。
それを見て、周囲にいる未信者の皆も、安心と
幸福感が心に。

葬儀も、平安と霊の祝福に溢れて、未信者の
親族も平安に包まれた。御霊が力強く働いておら
れることが感じられた、

心に聖さと、明るさと、希望を感じる、悲しみでなく、
幸福感に包まれた、不思議な〃神様のおられた
葬儀式だった。

「また、会える」
死を超越した、何という喜びであり、希望だろう。



自分自身がジュニアの頃、死が怖くてたまらなかった。
心底恐怖だった。なぜか独りになると浮かんで来る
光景があった。
真っ暗闇の底無しの、果てしない宇宙のような空間で、
自分独りだけが存在していて、誰も人はおらず、身体は
無いが、意識ははっきり存在していて、無くならず、
それが永遠に続く・・

意識が無くなれば良いが、自分が消えるなら良いが、
永遠に無くならない。意識する自分が存在する・・。
後に、信じた聖書とかぶった。罪を持ったままなら、
火と硫黄の燃える池の中に、報いがあり、永遠の死がある。

イエス様を信じて、その事は全く意識しなかったが、
ある日、ふと気づいた。死の恐怖がきれいに失せて
消えていた。真に「救い」を実感した。
心底の安堵、平安を経験した。

「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、
今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方
のもとに帰ったのです」Tペテロ2:25

永遠の滅びから救われ、永遠のいのちが与えられた。
何という恵みだろう。


主のもとにのみ、死に対する答えがあり、解決がある。