2012年05月02日(水)
  「人が主に向くなら」

「試練の時は、必死で神様に祈りに祈って、御言葉
求めて、御心を求めに、求めるんですが・・、

問題が解決してしまい、平穏な日々になると、
ポワ〜ン、ポワ〜ンで、神様から離れてしまいます・・

神様に頼ることが無くなってしまうんですよねえ。
自分で歩んでしまってて、だから、特に問題もなく、
平穏無事なんですが、御霊の喜びが無いです。

苦しい時の神頼みなんですよねえ。
毎日のデボーションが助けられて、イエス様と
地道に交わって行きたいです」


「あ、おんなじだ。私もなんですよぉ。
何か問題があると、試練だと、真剣に必死で
祈って、神様に向かうから、御声がわかる。
求めに求めているから、答えが来るんです。
御心が示されて、なすべき事がわかる。

でも、問題が無くなると、ぼおっ〜として、
祈らなかったり、頼らなかったりして生活
している。
だから、何か心満たされない。
おなじで、問題なく平穏無事なのに、喜びが無い。
自分も苦しい時の神頼みです。

原因がよくわかりました。心の目が神様に向いて
いないです。

私も、主と交わりの生活を祈ります。
エマオ途上の弟子たちが、イエス様とはわからなか
ったが、御言葉に耳を傾けて行った時に、

“道々お話になっている間も、聖書を説明して
くださった間も、私たちの心はうちに燃えていた
ではないか”ルカ24:22

御言葉聞く時に、心がうちに赤々と燃えた、
そのような交わりが欲しいです。祈ります。」

Cさん「う〜ん。よくわかる。苦しい時は真剣に
祈って祈って祈るが、苦しみが去ると、求めが
無くなってしまって。
これだとずっと試練がないと、求めないですよ
ねえ。

もっと、環境の平穏でなく、イエス様を求めて
行きたいです。」



“しかし、人が主に向くなら、そのおおいは
取り除かれるのです”Uコリント3:16