2012年08月08日(水)
  「光がある」

先日は婦人会で、1時間半学びをし、4時間半交わった。
食事を共にして、恵みを語り合い、近況を語り合う。

喋りに、喋り、尚も喋り、途切れる事も、尽きる事も
ない。
お腹を抱えて大笑いしながら、又、深刻な話に、皆で
うなずきながら、真剣に聞く。

「外では絶対に話せないから」「巡り巡って、ややこしい
事になって、大変な事になる」
「ここだと安心して話せる。皆に聞いてもらって、すっきり
して、また、頑張れる」

「誰にも裁かれない。皆に暖かく受容してもらえて、それ
だけで、生き返れて、力が湧く」

「外では絶対に言えない。ここだと、外に出ることがなく
皆に受け止めてもらえて、吐き出せて、すっきりする。
ほんとに軽くなって帰れる」

自由に自然に話す中で、互いに、互いの重荷が知り
合え、祈り合える。

誰かの問題に対し、ああじゃないか、こうじゃないかと、
御言葉に照らし合わせ、皆が自然に語り合う。
御霊の導きを探る。肉で捕らえていた事柄が、神様
視点に変えられて行く。
平安の地点に落ち着く。

「楽しかったあ〜!!!」「ほんとに楽しかったー!!!」
「もやもやしていたのが、全部喋れて、すっきりしたあ!」
皆の素晴らしい笑顔(*^_^*)

御霊の自由の中で、心が喜びに溢れ、神様に触れ、
御霊に教えられ、皆が心満ち足りて帰った。


以前もAさんが言っていた。

経済的苦境や夫婦の問題や、育児の問題、対人
関係の悩み、もう様々な試練に次から次へと、
襲われる中で、もう悩みで、大きな試練で、
心の中がぐじゃぐじゃ。

わけがわからない、悶々状態。

「そんな状態で教会へ来るから、もう心が
混乱して、ぐじゃぐじゃで、御言葉が入らない。

まず、聞いて貰って、吐き出して、心を下ろすと、
御言葉がぐいぐい入って、御言葉によって教えられ
恵まれ、心が変えられて、平安と喜びに満ちて、帰れる」


Bさん「試練が大き過ぎて、飲み込まれて、心が落ち
込み、沈んで、何も考えられなくなる。心が真っ暗な
状態になる。真っ暗闇にいるような感じになる。

でも、教会へ来る度に、全部下ろせる。悩みを吐き
出せて、御言葉が臨んで来る。神様に出会える。
必ず光があって、どんなにひどい状態で来ても、どんなに
深刻であっても、帰る時には必ず変えられて、心が新た
にされた。平安になって帰れた。

ほんとに神様がおられ、教会には光がある」