2012年12月03日(月) 「主のおられる所に」
以前、ずっと一緒に集い交わっていたAさんが、 神様から離れていた期間を経て、帰って来た。 Aさんが喜んでいる姿に、ほんとに恵まれ励まさ れる。神様の栄光を見せられている。 「ねえ、神様から離れていた期間って、神様のことと かはどうだったの?」 「全然、全く、無い」(笑) 「目に見える生活が、順調で、思い通りに行って いる間は、神様のことなんて、何も無かった」 「ああ、飛んでたんだね」(笑) 「で、どうやって、神様のこと思うようになったの?」 「やっぱり、うまく行かなくなったから。ローンの返済 のために、仕事に追われて、一つでは足らなくて、 かけ持ちで仕事したりしていて、こんなの、何のために 生きてるんだろうと、心がものすごく虚しくなって」 「虚しくなった時、思ったのが神様だったんだ」 「そう、神様だった」 「一番最初のクリスチャンの友に、どうしても会いたく なって、遠方まで会いに行った。 そこで、一緒に教会に行った時に、御言葉がびんびん 心に響いて来て、入って来て、もう涙が出て仕方が 無かった。 今までの歩み思う時に、とても神様のもとへ帰れないと 思ったが、その時に『医者を必要とするのは丈夫な者 でなく、病人です』の御言葉語られて、また、涙で」 救われた人は、神様のもとへ帰るんだと、見せられた。 同じように、クリスチャンであっても、何をしているかでは なくて、どこにいるかが一番大切だなあと。 でなければ、クリスチャンであっても虚しい。 「あなたがわたしに下さったものを、わたしのいる所にわたしと いっしょにおらせてください・・わたしの栄光を、彼らが見るよう になるためです」ヨハネ17:24 「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中に とどまります」 ある人が、自分の力で歩む、油の切れたような、しんどい 苦しいクリスチャン生活を通り、主に自分自身を明け渡す ことができた。自分自身と自分の人生を主に委ねた。 その時に、確かに自分自身が変えられたのがわかったと。 その後も、霊的アップダウンはあるけれど、底の方に 大きな川のような平安が流れていて、それは決して 変わることがないと。 そして、変わったのが、生活の小さな事の一つ一つに 気持ちがあり、感動がある。以前はそんなことは 決して無かったと。 何をしているかでなく、主にとどまっている時に、 する事の一つ一つに気持ちがあり、喜びがある。 御霊の働きだ。 どんなに有意義な事をしていても、目の前の事柄を 次々と、ただこなすだけなら、何の感動もなく、気持ち もない。しんどいばかりだ。 御霊に導かれて生きる時、確かな歩みへと導かれる。 イエス様のいるところに、常にいっしょにおれますように。