2013年04月02日(火)
  「貪欲と満足」

雑談をしていた。

「大金持ちが、お金が無い、お金が無いと言うよね」

「そう!財産あるのに。意味わからんよね」(笑)

「“貪欲”というのは、幾らあっても、足らないんだよね。
これでいいという事がない。満足することが決して無い。
更に持ちたい。際限無く得たい。
金額の問題でなくて、心の問題だよね」

“しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を
受ける道です。
私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何
一つ持って出ることもできません
衣食があれば、それで満足すべきです”Tテモテ6:6

神様にある時、満ち足りる心を下さる。どんな中でも
不安や恐れでなく、平安を下さる。何という有難い
恵みだろう。

どんな中でも、祈ることができるので、委ねて行ける。
祈れるなどとは、何という恵みだろう。
気持ちをことごとく告げて、吐き出して、主のみ思い
に変えて下さる。祈ると、神様視点に立ち返れる。

愛されていること、目に留め、心配して下さっている
こと、すべての必要は与えられること、
“感謝をもって、ささげる祈りと願いによって、願い事
を知っていただけること”
そうする時、平安に満たされること。
いつも、そこに立ち返れる。


「時々あるよね。極貧の生活をしていた人が、何千
万という大金を畳の下に敷いて死んでいた、と。

不安で、不安でしようがない。老後のため、70才に
なった時のためにと思い、食べる物も食べないで、着る
物も着ないで、始末に始末して貯めに貯める。貧しい
生活をして、ひたすら貯蓄する。

しかし、チマチマと貯めに貯める生活をして、70才
になったら、なったで、今度は80才になった時のことが
不安で、不安でたまらない。

更に、食べる物も食べず、ひたすら貯える。
次は90才になった時のことが不安で・・、際限がない。
常に不安で不安でたまらないから、将来のために
貯めるのみの生活」

どこまでも不安なので、ただ貯め込むのみで、使うこと
をしない。死んだ後、それは誰のものになるのか。

神様は、神様のお心に従って、使うように与えて下
さっている。
神様の栄光のために使う時、自分も、人も喜びが与え
られる。何と幸せで喜びある充実した人生だろう。

「聖書に出て来るよね。
“おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれの
ものになるのか”

神様を信じないなら、信じるのは自分であり、お金
なので、どんなにか将来が恐ろしくて、不安だろうね」


神様を信じて生きることの幸せ、生かされていること
の喜び、感謝、恵みをしみじみと思う。