2013年08月06日(火)
  「平和」

原爆の日だった。

教会学校に来ているお友達が合唱団に入って
いて、式典で合唱するというので、久しぶり
に式典をテレビで見る。

少し前に、アメリカ人宣教師さんが来日時に、
原爆資料館を見たいと、関西から来られた。

数日後に、引き続き、別の同じくアメリカ人
宣教師さん方が来広。長らく日本滞在の宣教師
さんが、彼らにどうしても見せて上げたいと。

で、案内のため、2週続きで資料館を見た。
じっくりと見られるので、こちらもじっくりと
2回見た。

2回目は、入るなり、何だか悲しくなって、
気持ちが滅入る。

爆風、大火事、建物は破壊、人々は焼けただれ、
水を求めて人々は川へ。川は遺体で埋まり・・、
悲惨で、余りの惨状に正視できない。

カンボジアのツールスレン博物館で、ポルポト
の惨禍を見た時も、余りの惨劇に非常な衝撃を
受けた。夜、眠れなかった。

裁判も無く、捕らえられ、無実で拷問にかけられ、
次から次へと殺されて行く。トラック一杯の遺体
をキリングフィールドに運んでは捨てる。
赤ん坊は、木に叩きつけて殺して行く。


日曜は、原爆の日に併せて「平和」テーマの集会
を行なった。

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが
あるのでしょうか。
あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因では
ありませんか。

あなたがたは、ほしがっても自分のものにならない
と、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れる
ことができないと、争ったり、戦ったりするのです」
ヤコブ4:1

対人関係の争い、喧嘩、国家間の戦争、それらの
原因は人間の「罪」によると。人殺しをしてでも、
自分の欲望を遂げようとする。

アダムとエバが、エデンの園でサタンから誘惑
を受けて、罪を犯した時、その誘惑が

「あなたがたが神のようになり・・」だった。
自分が神になって、誰にも指図されず、自分の思い
通りに生きたい。自分の利得が最優先だ。

皆がそう思っているので、欲望がぶつかり合い、
利害が衝突する。相手を押しのけ、戦う。
それが国家間になると戦争になる。


一世を風びした、世界的ミュージシャンがいた。
世界平和を、人類愛を声高らかに謳った。
若者たちは、彼をカリスマ的存在として、心服した。

その人が離婚した時に、熱狂的ファンが、肩を落と
し、インタビューに答えていた。
「人類愛と言いながら、身近な一番大切な人を
幸せに出来なかったことに、失望した」と。

全世界は愛する事はやさしいが、目の前の人を
愛する事は難しい。

全世界の平和を願うことはやさしいが、まず
自分の心に平和、平安が無い。


問題は「罪」にある。強烈な自我があって、
愛すること、平和に過ごすことを妨げる。

解決は、主の十字架だ。
十字架の血潮で、罪が赦され、新しい人にされる。

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、
私たちの主イエス・キリストによって、神との平和
を持っています」ローマ5:1

罪が解決されるので、神との交わりが復活し、神と
の平和を持つ。

真の平和は、神との平和で、それが人との平和に
繋がって行く。


アメリカ人宣教師さん方は、関西からわざわざ原爆
資料館だけを目的に来られ、とんぼ返りで、戻られた。

そこに誠意を感じた。

そして、アメリカから、神様の愛を伝えに、日本に
来ておられる。


主の十字架で罪が赦され、神との平和を得て、それが
目の前の人々への愛と平和へと繋がって行く。