2014年04月05日(土)
  「弱さのうちに」

恵みを語り合っていた。

・・・・・
最近もずっとなんですが、必要不可欠な事を取りこぼ
してしまう。幾つかしなければならない事があると、必ず
1つ忘れてしまう。

もう様々失敗を繰り返してしまう。鍵を無くしたり、
鍋の空だき、大切な持参物の忘れ、余りにもひどく、
落ち込んで、なすべき事が多すぎるので、生活範囲
を縮小して行けば良いのかと。

でも、そういう問題じゃなくて、神様に頼れということだと
わかりました。
どうしても、「自分が」「自分が」「自分で」「自分で」に
なってしまう。
自分が前に出てしまう。いかに、自分が無力で弱い
かということを、思い知らされていて感謝です。

ほんとに失敗するので、もう祈らざるを得ない。取り
こぼしなく、判断も守られて、気づいていな事あれば
気づき与えられて、この1日が守られるようにと。

もう真剣に、切に祈ってて。祈らなければ、日常生活
ができない。これってほんとに感謝なんですよねえ。


「というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現わ
れるからである」Uコリント12:9

弱さの中でしか、神様は知れないから、弱さを
これでもかと、これでもかと、教えて下さっている。

日常で、自分の思い通りにならない時、何かしようと
している時に妨害が入る時、イライラして、腹が立って。
怒りが湧く。

これも神様の砕きですよねえ。「自分が」「自分が」を
砕いて下さっていることに感謝です。

日常生活、思い通りにならない事ばかりで、あちこちで
頭をぶつけ、バッサバッサと神様が砕いて下さっている。

全然喜びではないけれど、砕きだと受け取れる事が
感謝です。

結局、自分の力で、自分が、自分がと生きていたら
全然、全く、神様がわからないですよねえ。
最後まで、頭だけの信仰に終わってしまう。

ほんとに弱さの中でしか、神様はわからないですねえ。
人間の罪の性質って、自我って、甘くないですよねえ。
どんだけ高慢で、プライドに満ち満ちて。

放っておかれたほうが恐い。砕かれるって、取り扱って
下さっていて感謝です。