2015年01月15日(木)
  「どこにいにるか」

Aさん「特別にしんどい試練だった時に、
教えられたんです。

自分がどこにいるかだけだなあと。

厳しい試練で、苦しい中だけど、イエス
様と共にいて、主を見ている時は、
きっと良くして下さると思える。
大変な状況の中だが、平安なんです。

そして、周囲の人が気遣ってくれたり、
祈ってくれたり、手を延べてくれることが
すごく感謝で、こんな自分のためにと、
有難いと思える。

ところが、肉にいる時は、心を屈折させ
る。
良くしてくれる人々に対しても、心を
閉じて、あんたたちは、幸せでいいよね
と心を屈折させる。
感謝も、平安もなく、人が羨ましくて
ならない。更にみじめになってしまう。

でも、状況は同じで、自分も同じ自分。
霊にいるか、肉にいるかで、天と地ほど
違うんですよねえ。

“あなたがわたしに下さったものを、わたし
のいる所にわたしといっしょにおらせて
ください”

イエス様が祈って下さったように、主の
おられる所にいつもいたいです。
どんな中でも、主の平安が与えられる
ことを経験しました。


Bさんも「もう涙、涙で、これだけ涙がよく
あるんだと思うほど、辛い中を通りました。
幾ら泣いても、涙が枯れない。

でも、不思議に、仕事に出る時は、心も
身体も、しゃんとして、人との対応には
笑顔が出るんです。
自分でなく、全然頑張ってるわけでなく、
無理にしてるわけでなく、神様の力を
ものすごく感じさせられました。

大きな御手に支えられていること、
守られていること、愛されていること
苦しい中で、でも平安が与えられていて、
ほんとに、瀬戸際の中で、もろにびんびん
神様を感じさせられました」


状況は問題ではないこと、自分がどこを
見て、どこにいるか、だけであることを、
教えられる。