2015年04月10日(金)
  「互いの栄誉」

「日本人て、空気読んで生きて行くことが、小さい頃
からの生き方で、本音と建前を使い分けて、人の前
に、うまく生きて行くように、培われていますよね。

人を愛するのとは、違って、人への配慮のように見え
るが、結局は自分が良く思われたいからですよね。
良い人に見られたい。自分のため。

そうやってずっと生きて来たから、本当の自分がわか
らない。
自分が思う自分は、繕って来た自分であって、本当
の自分ではない。
では、本当の自分はというと、ほんとにわからない。

結局、全く自分を生きて来ていないんですよね。
人の前の自分、人にどう思われるかの自分、その
自分があるばかりで。
突き詰めて行くと、そんな生き方虚しいですねえ。

でも、それに気づけて感謝ですよね。
御霊様に、自分の闇の部分に光を当てていただ
いて、導かれたいです。
気づかせて下さったのは、必ず成し遂げて下さる
ためですよね。感謝です。

自分の心の内を照らし出されるために、
祈って行きます!」


「良い人に見られたくて、ずっと生きてきたと思います。
神様を知る前は、そんなことを考えることも無かった。

そういう発想も無くて、ずっとそうやっていてわからない、
気づかない。

神様を信じた後も、自分の栄光のため、自分が賞賛
を受けるため、神様の前でなく、人の前に生きて来て
気づかない。どうしても人の愛が欲しいのでしょうね。

でも、「わたしの目にあなたは高価で尊い」と言われ、
この御言葉が、心にぐっと入った時に、心が変わり
ました。
神様の前に生きたい、神様が愛して下さっている
のだから、人からどうこう思われてもいいと。
神様によって、人を気にして生きる生き方から自由に
されことを教えられます。」


「神様のために生きているつもりなので、この“つもり”
がくせもので、欺かれてしまう。
でも、自分のための神です。自分が中心にあって、
その自分のための神様。
神のための自分じゃないことを、見せられる。

ほんとに御霊によらなければ、不可能ですよねえ。

自分を捨てる、十字架に自分もつけられている。
御霊によって、それを信じて行く歩みですね」


“互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求め
ないあなたがたは、どうして信じることができますか”
ヨハネ5:44