2015年05月08日(金)
  「肉」

「自分の肉をよく照らされます。

人に言われたことが、カチン!と来て、ぐわっ〜と
肉が反応して、怒りや反発心や、心に広がる。

「肉だ!」と、その度に「神様!」と心で呼ばわる
と、ひと呼吸置けるんです。
ひと呼吸置けると、言い返せずに、何とかおさめ
られて。

もう、人の言葉に反応して、ムクムクムク〜と
自我が(^^;)すごいです。

そして、後で冷静になると、まさに肉なんですよ
ねえ。不用意な言葉を発さずにほんとに
良かったと。

でも、気づかされることが感謝です。
御霊様ですよねえ。
自我が強くて、砕かれて行かないと。

朝に、主と交わって祈って、1日始めると
ほんとに気づきが与えられ感謝です。

朝、バタバタと祈りなく始まってしまうと、
もう、1日が凄まじい勢いで流されてしまって、
祈るのと、祈らないのでは、全然違います」


「私は、もう自己正当化、言い訳、弁解の
肉を示されます。

自分を守るんですねえ。必ず言い訳している。
イライラして、ついきつい言葉が出てしまうと、

私は忙しかったから、疲れていたから、
相手が、イラ立たせるような事を言ったからと。
言い訳し、自分を正当化する。
相手が悪いと。

自分が傷つける言葉を発したと認めない。

でも、神様を知って行った時に、そのまま認める
ことを教えられ、従って行くと、ほんとに平安に
されますねえ。
変えられて来ました。

この平安は何にも代えられないです。
何よりも、この平安が嬉しく、感謝です」


「そうなんですよね。段々、言い訳したところで、
主はお見通しで、何もかもご存じだと。

それで、何より平安でいたいから、『ごめんなさい』
と認めて行くようにされて。
平安が戻ることが嬉しい。
自己正当化すると、すぐ、平安が無くなります
ものね」


“肉の願うところは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう
からです。この二つは互いに対立していて、そのため
あなたがたは、自分のしたいと思うことをすることが
できないのです”

の通りですね。

だから“御霊によって歩みなさい”ですよね。