2016年07月08日(金)
  「他人事に聞いていたのが、ある時」

続・御言葉の聞き方

「ずっと長い間、御言葉を聞いてたが、他人事で聞いて
いて、自分の事として、聞いた事が無かった。

自分には、助けは必要無いと思っていて、そんなの
自分でやらなくて、どうすると。
プライドと自我が強かったんですよねえ。

友人が誘ってくれて、聖書の学びに集っていたが、
横で、友人が御言葉を聞いて、よく泣いていた。
今思えば、友人は恵まれて泣いていた。

でもその時は、何を泣くんじゃろ? 何で泣くん
じゃ?と横で、不思議で仕方無かった。
自分は御言葉を聞いても、何もわからなかった。
心動くことなど無かった。
だいたいから、入って無かったんですよねえ。

それがある時、御言葉が心にぐいぐい入って来た。
放蕩息子のお話聞いて、自分だとわかった。
それ以後、御言葉が自分に当てはまるので
びっくりだった。

日々のことばの冊子を読んでいるが、これ自分の
事だと、その時、その時の心の状態にピッタリと
はまって来る。ビンビンと響いて来る。
びっくりです。

やはり、人生に行き詰まって、何もかも、すべてを
神様に明け渡した時に、自分が変わりました。

その時に、目の前の危機が、何もかも完璧に
導かれたことを体験しました。

進むべき道が、目の前に次々と開かれて行って、
驚くばかりでした。神様が開いて下さって行くのが
もろにわかって。神様すごいです!

何でも祈れることの、幸いと喜びが日々もう感謝で
感謝で。幸せです。

嫌な相手と接する時も、神様に頼って祈っていると、
それが自分の口から、優しい言葉が出て来て
びっくり!!です。

え!今、自分が言った?!みたいな(^^)
ほんと、自分じゃなくて、神様です!!
神様に生かされています」