2016年08月03日(水)
  「祈りはすごい」

「祈りってすごいですね」

★職場や友人間や、サークルや、対人関係で、
様々な事が起きる。
ちょっとした行き違いや、相手のきつい言葉や態度
で傷つく。

人のせいにしたい自分がいる。相手が悪い、
相手のせいにしたい。
言われた事に対して、反撃したい、攻撃したい
自分がいる。
そんな時、悪いのは一方的に相手。

そこで、ありのままを神様に告げて、祈り、祈り
続けていると、自分も悪かったと気づかせられる。

自分のあの言葉、この態度は、相手を傷つけた
のではないか。全然見えなかった自分の非を
気づかせられる。
相手を責めている時は、自分はいつも棚上げだ。

悔い改めて、相手に、ごめんねと言うと、心すっきり。
平安が戻る。

突っ張ってる間は、平安がない。自分の思うように
するのだが、そこに平安はない。
ほんとに祈りの力を経験する。いつも何があっても
神様に相談できることが、本当に感謝だ。

★ あ、同じです。エデンの園のアダムとエバのように、
すぐ相手のせいにし、責任転嫁してしまう。
自分を正当化する。

相手を責めていると、自分を見なくて済む。正当化
しておれる。心痛まなくて済む。
でも、平安はない。けれど突っ張る。

だが、そこで祈ると、気づきが与えられる。又、責任転嫁
し、自己正当化し、人のせいにしていると。

認めて、悔い改めると、平安が戻る。心が安堵する。
これをわかっていながら、同じ事を繰り返している自分。

だから、祈りたくない自分がいる。強固な自我がある。
それを教えられることも感謝です。

いつも選択ですね。感謝して、主を賛美して生きるか、
妬みや憎しみを持って生きるか、自分の選択ですね。

★、しょっ中、サタンが来ます。
こうなったのは、うまく行かなかったのは、周囲が助けて
くれなかったからだと。心の中で、周囲を責める。
自分の失敗を、周りのせいにしようとする。

又、できなかったことを認めず、私は疲れていたからだと
言い訳をする。ほんと自分の非を認めたくないんですね。

でも、でも、感謝です。祈ると、それらが示されて、
認めて、イエス様の十字架のもとへ行く時、ほんとに
平安になります。
大海のような平安を経験します。