2016年10月03日(月)
  「いやし主」

証しに恵まれる。

Aさんに、非常に辛く、苦しい対人関係があった。
辛く当たられ、時には無視され、対応してもらえない。
ずっと苦しかった。

相手は、上に立つ人なので、もろには反発も、反撃もできない。
認めてもらえず、評価もされず、しかし逃げ出す事もできない
環境に、苦しみを胸に抑え、溜め込むばかりの歳月だった。

その苦しみは、憎しみになってしまう。
そして、人を憎むと、自分が一番辛い。その辛さを、ずっと
経験して来た。

鉛がある心は重く、ふさがれたようで、暗く、楽しい時にも
影を落とす。心底楽しめない。ずっとく重苦しさがあり、
心は晴れない。沈み込み、重かった、

神様に出会った時に、その心の苦しみを、告げて行った。
心の思いのいっさいがっさいを、何もかもを主に打ち明け
て行った。

突然、一大変化するのでなく、少しづつ少しづつだった。
苦しくなれば、主のもとに行き、思いの丈を告げて、
平安にされた。

又、重くなれば、主のもとに行き、思いの底を告げた。
心がすっきりすることを経験させられて行った。

そんな事を繰り返していたが、今、心に憎しみが消えて、
心が解き放たれている。

あの重苦しさ、辛さ、心の深い傷みが、今は、全く無い。
まるで牢獄から解放されたようだ。

こんなに気持ちが楽で、喜びがあって、嬉しい。
すべては、ただただ主の十字架のゆえだ。

主の癒しを、苦しみからの救いを、経験した。

この日を境にというのではなく、少しづつ少しづつ導かれた
結果で、自分ではわからないのだが、赦しを受け取り、
苦しみの叫びの中で、主に委ねたのだと思うと。


「でも、人を裁いたり、憎んでいる時は、本当に自分が
辛く、こんなに苦しいことはないです。
神様が解き放って下さいました」


“わたしは主、あなたをいやす者である”出エ15:26