2017年04月02日(日)
  「頑張らずに、告げる」

皆で、語り合っていると、

★「デボーションがなかなか、持てないですねえ。
朝、持つのですが、外出前だと、どうしても気持ちが
焦り、落ち着かないです。

一応、聖書を読むのですが、心が座ってなくて、立っ
てしまっていて、なんか上っすべりで読んでいて」

★「ものすごく頑なな自分がわかります。
いつも家の中で、デボーション持っている場所に
座ろうとしない自分がいる。

神様はありのまま受け入れ下さるし、悔い改める
なら罪も失敗も赦して下さる、全部頭ではわかって
るんですが、持とうとしない自分がいる。
ほんとに出エジプトに出て来る、頑ななパロだ
なあと」

★「デボーション持とうとすると、次から次へとなすべき事
が的確に浮かんで来て、引き回されてしまう。
サタンですよねえ。

とにかく朝一で祈ろうとすると、即、今日のスケジュール
が浮かび、あれをしなくては、これをしたなくては、
又、目の前の問題が来て、あれを思い煩い、
これを心配し・・思いが駆け巡る。

朝食準備の時間になり、朝食終え、家族を送り
出すと、一人になれるので、すぐにデボーションすれば
いいのに、とりあえず、テーブルを片づけて、きれいにしようと。

すると床のパンくずやゴミが気になり、ついでに掃除機
回してしまおう。その間に洗濯機を回すと効率が良い。
すると、掃除が出来ると、洗濯物を干すことになる。

そうこうすると、どうしてもの買い物の予定時刻だ・・
次々と浮かぶから引き回される。サタンだと後になって
気づく」

★「あ、同じ!はっきり声が聞こえて来る。次はあれし、
次はこれをすればよいと。
サタンですねえ。その声に従うと、ほんと祈りと御言葉
を奪われてしまう」


サタンは何よりも、祈りと御言葉が、心底嫌なのが
わかる。
私たちより遙かに、その力を知っているから。
祈られたら終わり、御言葉握られたら終わりなんでしょうね。


頑張って祈るんじゃなくて、「祈れません」「祈りたくありません」
と主に告げて行くと、不思議に祈りが天から与えられる。

頑張ると余計嫌になって、重荷にしかならない。
頑張りではなく、恵みだ。