2017年11月02日(水)
  「どこにおいても、主を認める」

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」
箴言3:6

日常生活で、日々の時間の中に、環境の中に
主を認めることを教えられる。

目の前の思い通りにならない状況に、だが、主から
来ていると、主を認める時、いら立たずに
受け止めることができる。

たまたまでなく、不運でなく、偶然でなく、サタンに
翻弄されているのではなく、目の前の事態は主から
来ている。

Aさんが、ご両親を連れて、秋の旅行に出かけた。
だが、ずっとあいにくの雨だった。
行動にも制約があり、皆は非常に残念がったが、しかし、
主を知っているAさんは、すべてが主から来ていること
を知っていた。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
万事益、すべてのことについて感謝。
これも主による事と受け止めることができて、
心は平安で、感謝だった。

そして、その雨を通して、親が思った以上に年老いて
いて、行動が非常に難しい事が判明し、今後の事を考え
て行かないといけない、感謝な時とされたと。


Bさんは、対人関係で、難しい相手がいて、こちらとして
は、どこまでも平和を保って行きたいが、相手のあること。

相手から拒否される事態があったが、それもあなたの行く
所どこにおいても、主を認めよ。

これも主からの事と、そこに主を認めた時、心が動揺から
守られ、平安にされた。

相手がどうであれ、誠意を示して行った時、道が開かれた
が、あれもこれも主による事と、変わりない平安に置かれて
感謝だった。

教会で、日曜午後に、皆で草刈りをする予定だったが
2週続けて雨。
特別集会の日までに、刈りたい。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
この雨も主からであり、ご計画があることを思えて感謝だった。

平日に婦人会で草刈りをする事に。素晴らしい秋晴れの
気持ちの良い中、婦人たちと草刈りが、本当に楽しく、
喜びの中で、奉仕ができて、すっかりきれいになった。
雨も益とされて、感謝だった。

行く所、どこにおいても主を認める時、主はあなたの道を
まっすぐにされる。

道をまっすぐにとは、どうであれ、心に平安を下さり、平安に
して下さるということだ。