2020年01月03日(金) 「苦しみがあったから」
なぜ神様を求めたか、を語り合っていた。 ★「仕事がハードでした。日進月歩で、次から次へと進歩して 行き、質的、量的、時間的に、許容量オーバーになり、 ついて行けなくなりました。 身体を壊してしまい、そんな時に、教会へ行く機会が与え られ、神様に出会い、信じることができました。 今は、回復していて感謝です」 ★「自分も仕事内容が、精神的にきつくて、きつくて、喜びも 安らぎも、潤いも、心の余裕も無くなるようで、心がカラカラ に渇くようでした。 もうどうにもならない状態の時に、チラシを見て教会に来れ ました。神様を信じることができて、今は、避け所、拠り所、 安らぎが与えられました」 ★「子供が病気になって、子供のことは、一番痛くて、あれが 悪かったのか、これが悪かったのかと、悩み苦しみました。 どこにも行き場もなく、辛く、苦しい日々でした。 そんな時、クリスチャンの方を通して、教会に誘われ、聖書 の学びを続ける中で、自分がどんなに罪深いか、罪人で ある事がはっきりとわかりました。 この罪のためにイエス様が死んで下さったことを知り、信じる ことができました」 ★「自分は、逃げることのできない、辛い対人関係があり、 苦しく、辛かったので、知り合いに誘われるままに、教会へ 足を運べました。 心の奧で、生きる支えが欲しかったのだと思います。 子育てや仕事に追われ、教会へも行ったり行けなかったりの 中、でも、学びの中で、祈ることを教えられました。 苦しい中で、助けを求める祈りが、答えられて行くことを 経験しました。窮地の中で、叫び祈ると、神様が答えて 下さいました。 最初は、ぼんやりした神様だったのが、今は、ほんとに 感謝です。 でも、自分は、苦しみが無かったなら、教会へ行って無かっ たです。神様に出会って無かったです。 苦しみがあったからこそ、神様に出会えて、感謝でならないです」 “苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで あなたのおきてを学びました”詩篇119:71