2020年03月09日(月)
  「光に照らされる」

Aさんが証ししてくれた。

対人関係で、ひどく傷つくことが起きた。
心が、ぐさっと、裂かれるようで、心は暗く、押しつぶされそうだった。

傷つけて来た相手が、どうしても赦せない。
憎む心がむくむくと起きて来る。怒りが沸いて来る。

憎しみ、恨み、怒り、赦せない思いがふつふつと沸いて、心は
暗く、喜びはない。平安は無く、自分が辛くて、苦しくてたまらない。

しかし肉は握っていたい。嫌っていたい。赦せない。
赦したくない。

でも、心は苦しくてたまらない。何とかして欲しい。
何もかもを祈りに持って行った。

心の内を吐き出し、感情も思いも、気持ちも、内側のドロドロを告げて
行った。
主の御前に祈っていた。

すると、相手を糾弾して、指さしていた、その指が自分に向けられた。
御霊だった。

まさに姦淫の女性が、イエス様のところへ連れて来られ、皆で責め、嘲り、
追求し、罪定めをし、指さしていた。

その時、イエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に
石を投げなさい」と。ヨハネ8:7


相手を責め、罪し、さばいているが、自分はどうなのかと。
自分の内側を御霊に見せられた。

すると、自分の内側の罪が、次々と見せられ、溢れて出て来て、
何という罪人、何と罪深い者と、圧倒され、恐ろしくなった。

全く気づいていない罪を、次々御霊の光で、気づかされた瞬間
だった。

もう恐ろしくなり、主の御前に、心から悔い改めた。

その時、あれほど辛くて、重くて、苦しかった心が、すう〜っと
平安になった。心に喜びが来た。

自分の方がもっと罪が深いことを見せられ、赦せるように
して下さった。主の奇跡だった。


姦淫の女性を、糾弾し、問い詰めていた人々は、主の指摘に
全員、逃げた。
だから、変えられることも、平安も、喜びも受けることができなかった。

罪に向き合ったAさんは、平安に変えられた。