2021年10月04日(月)
「H喜びがパンク」
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その一軒家の会堂で、5年ほど経た時に、米軍基地
のある岩国のアメリカ人教会から、米人宣教師が広島
まで訪ねて来られた。
日本人のたましいに重荷があり、何かをしたい。
チラシ配布は出来るが、日本語が全く出来ない。
それで、伝道は自分たちでするので、メッセージをしに
来てくれないかと。
牧師がこの事を祈ると、主の御心であることを確信できて、
こちらでの夕拝時間を繰り上げて、
毎週、岩国へ出かけ、アメリカ人教会の会堂を借りて、
日本人集会をすることになった。
広島から車で1時間ほどだ。
1985年11月17日のこと。
宣教師さんが周辺にチラシ配布して下さり、日本人集会の
オープニングだった。
そこにAさんが赤ちゃんと共に、初めての来会。
Aさんは、軍のアメリカ人男性と結婚し、渡米するが、
夫は昼間はずっと仕事。
全く見ず知らずの異国の地で、言葉もわからず、友人も
知り合いも一人もおらず、家にずっと一人でいる毎日だった。
それがずっと続くと、寂しさと孤独がどうにもならず、お酒に
依存するようになったと。
そのせいで、夫婦仲もうまく行かず、悩みと辛さの中におられた。
初めて、聖書の言葉に接し、神の愛を知られ、喜んで毎週
続けて集われた。
渇いた心が、乾いたスポンジが水を吸収するように、御言葉
を吸収され、しばらくたった時、招きに自ら進み出られ、
信仰告白をされた。
岩国夕拝では、どうしても夜が遅くなり、バタバタと別れる感じ
になり、ゆっくりとお話したいと、広島まで来られたほど、主を
求めておられた。
心に喜びを与えられておられる事がよくわかった。表情が
明るくなられ、何人かの知り合いも教会へ連れて来られ、
ご主人も何回か来て下さった。
一年ほど、毎週出席して下さった中、ハワイ転勤が決まった。
基地勤務では、必ず3年毎に転勤があった。
一年でのお別れで、もっともっと交わりたく、心残りであったが、
ハワイで教会に行きますと言われ、お見送りした。
一番最初の集会に来て下さり、イエス様を信じられて、とても
喜んでおられ、印象深いAさんだった。
・・・
それから10年後の事だった。
一通のクリスマスカードが届いた。
「私のことを覚えておられますか。A子です。あの時は大変
お世話になりました。心から感謝しています。
私は今、サンディエゴにいます。夫も救われて、夫も一緒に
家族3人で教会に通っています。
どうしても喜びをお伝えしたくて、カードを差し上げています」
Aさんからのお便りに、嬉しくて嬉しくて、心が喜びでパンクしそう
に、嬉しかった。
家族が祝福されている様子が伝わり来て、喜びに溢れた。
神様、本当に本当に有難う!!!
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