2023年11月03日(金)
  「ゆだねられない」

Bさんも。

教会へ来て、聖書の学びや、育児の学びをしている
中で、自分の間違いに気づかされた。

自分が良かれと思うことを、押し付けて来たことが
わかった。

子どもの「気持ち」を考えることがなく、思いが至らな
かった。

あくまで自分が、良かれと思うことで、子どもの気持ち
はどうだったのか、あれやこれやと押し付けた。

そして失敗をさせまいとして、転ばせまいと、歩む道筋
の石を取り除いて来た。

しかしそれは、子どものためでなく、自分のためである
事に気づかされた。
子どもが転ぶのを見る、自分が痛いからであって、
子どものためではない。

御霊が示して下さった。

聖書には、蒔き刈りの法則があって、蒔いたのもは
必ず刈り取るとあり、子ども失敗を刈り取って始めて
次に失敗しないように学べると知った。

そして、若い時にくびきを負うのは良いことで、山やら
谷やら、しんどい所も通ることで、初めて成長して行け
ることも。

試練は良いもので、沢山の学びを得ることも。

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そんな時に、子どもに大きな試練がやって来た。

しかし自分も心配で心配でたまらない。思い煩い
と不安に押しつぶされそうだ。

子どもを握り締めている自分に気づかされた。
ゆだねなければと思うのだが、できない。

自分が子どもを放すと、子どもの一生がだめにな
ってしまうように思うからだった。

教会へ来ると、また、そうする事が祝福なのだと
わかるのだが、帰宅すると、世にまみれてしまい、
元のもくあみった。

ゆだねられず、しかし心配、恐れ、不安で心はどう
にもならない。

苦しくてたまらない。自分にとっても試練で、
ただただ苦しい。思い煩いに、不安に、心配に・・
もうどうにもならなかった。

どうやっても、神様に渡すことができず、できません
〃と祈っていた。

・・・・・・・・・・・

そんなある時、子どもを受け入れられている自分
に気づいた。

心から、ありのままを受け入れてやろうと思えていた。

心が平安になっていた。


どうしても渡せない、助けて欲しいと祈り続けていた
祈りを、神様が聞いて下さったのだと、わかった。

不思議だが、ゆだねることができていた。

主のみわざであった。

子どもは、生き生きとして行った。