2024年09月01日(日)
  「自我が握りしめて放さない」


学びと交わりの中で。

「思い煩い」は、ずっと信仰生活、信仰人生の課題で、
繰り返し〃御言葉に立ち返ることですよね。

思い煩いは、起きた事態や状況から来ると思い
がちだが、思い煩いは、状況から来るのではない。

なぜなら、同じ事態が起きて、思い煩う人と思い煩
わない人がいるからだ。

思い煩いは、その人の「心から」起きる。

平安に過ごしている中、何だか心が重い、暗い、
落ち込みが来る。

その時に、主に心を向けて、心を探ると、思い煩い
に陥っていたりする。

その思い煩いを探ると、何かの起きた事柄や、
誰かの言葉や、態度やらが、原因だったりする。

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それが、同じ事柄で、しょっ中、繰り返し起きている
時、自分の内の何かに触れている。

神様にゆだねられない、何か。明け渡すことができ
ない。
しっかり握りしめている。だから、そこに来ると、
不安で、心配で、思い煩いとなる。

そこに偶像がある。

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「あ!わかる〜!!!」

いつも、同じ所に来ている。

自分の偶像だから、放せずに、握りしめている。

いつも心配でならない。

そして、自分が手放してしまうと、何もかもだめになる、
崩壊してしまうと思っている!!

だから放せない。

自我ですよね!!!自我がどこまでも強固で。

つまりは、神様を信じられないからだよね。

神様に渡せば、最善をしてさることが、頭ではわかるが
信じ切れていない自分がわかる。


信仰強められて行きたい!!

明け渡せるよう、まず、祈って行きます!!!