2024年11月09日(土) 「実は、苦しみこそが、祝福」
以前、ある青年A君が、妹さんを教会に連れて来た。 イエス様を信じて、永遠の天国へ行って欲しい、 救われて欲しい一心だ。 妹さんは、嫌ではないから教会へ来られ、御言葉 も聞かれる。 ただ、「お兄ちゃん、私は、今、お腹がいっぱいなん よ。だから、どんなに美味し後馳走を持って来られ ても、食べられないんよ。満腹状態だから。」と。 好きな仕事をし、やり涯いがあり、充実している 毎日で、更に趣味の道も、楽しくてならない。 今、楽しくてたまらず、心満腹状態だ。 神様が必要無い。また将来いつか、悩みの時に イエス様を知られるかも知れない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 悩みや、苦しみは、痛くて辛い。 しかし、逆に、大きな恵みだ。自分の無力をとことん 知らされ、助けが心底必要で、知恵や力が必要だと 知らされる。 初めて、救いを求める。 多くの人々が言う。 「苦しみがあったから、悩みがあったから、神様の もとへ来れた。」 「あの辛かった事、この試練が無かったら、神様の もとに来ていない。」 「絶対に来れなかったと思う。必要が無いから。 この世に。どっぷり浸かって、人生それで終わり だったと思う。」 「この世を楽しんで、神様には絶対に向いていない。」 「振り返る時、あれほど苦しかった問題、出来事が 感謝だった。」 「あの悩みがあったから、神様のもとに来れた。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 苦しみがあったからこそ、砕かれて、神様の前に へりくだることができた。 そして、永遠の救いを与えられ、受け取れて、何 にも代えられない、一生の素晴らしい宝を得た。 生きる意味を知り、生きる目的を知り、死後はどう なるのか、真実を知った。 心に喜びが与えられ、平安も味わった。 ・・・・・・・・・・・・・・・ クリスチャンのBさん 「試練は痛いし、嬉しくなく、嫌だけど、苦しみの 時、試練の時が、一番神様に近かった!!」 自我に砕かれて、初めて、神様を知って行ける、 苦しみは、感謝で、祝福だと思える。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 苦しみが、私たちを、神様のもとへ連れて行って くれる。