2025年07月06日(日) 「絶望したことが無ければ」
「自分に、真に絶望した事が無ければ、 神のことはわからない」 と、ある信仰書にあったが、そうなんだと 思う。 ・・・・・・・・・・・・・ 肉の力は強く、自分で出来る事は、祈らず 主に頼らず、自分の力でできてしまう。 自分でどうにもならない時、心砕かれ、主 に頼る。 何と、頑なな、高慢な自我なんだろう。 ・・・・・・・・・・・・ どうにもならない、絶体絶命の時が、実は 大きな祝福の時なんだと思う。 高慢な者が、へりくだらされ、主に拠りすがる。 必ず、助けて下さる。 ・・・・・・・・・・・ 高慢なので、主は、愛により試練を送って下さる。 懲らしめは愛で、そのまま行けば、高慢により 滅びてしまう。 ・・・・・・・・・・・・ 砕かれなければ、神様のことはわからない。 教理で、頭でわかるのだが、膚でわからない。 御霊によってわからない。 神様との間に、幕があって、何か隔てがあって。 神様がわかるのは、砕かれ、へりくだらされ、 自分自身を明け渡す時。 ・・・・・・・・・・・ ピタリと焦点が合い、心に内側から喜びが湧き、 どんなに苦しい時も、心の底に平安があって、 その平安は、決して無くなることがない。 神様がわかる。 御霊の証しが心にあり。 ・・・・・・・・・・・ 「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身 が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます」 ローマ8:16 感謝でならない!!